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閖上の記憶 語り部・案内人 長沼 俊幸さん この悲劇を繰り返さず、愛すべき閖上の街を後世へ。
被災地としての閖上をより多くの人に知ってもらおうと活動している語り部・案内人、長沼俊幸さんが一行を迎えてくれました

再び閖上中学校前に戻り、プレハブ造りの「閖上の記憶」へ。ここでは、被災地としての閖上をより多くの人に知ってもらおうと活動している語り部・案内人、長沼俊幸さんが一行を迎えてくれました。震災前、閖上地区には5,500人が生活を営んでいましたが、津波で750人が犠牲になり、41人がいまだ行方不明。長沼さんも自宅を失いながら、命からがら生き延びた地元住民の一人です。

そして、この「閖上の記憶」が、閖上中学校で亡くなった生徒のための慰霊碑を守るためにできた成り立ちを話し、震災当時の凄惨たる様子を語ってくれました。さらに、津波から逃れようと高台に避難する住民をビデオ撮影した映像も視聴。轟音をたてて迫り来る波とともに、悲鳴や嘆きの声も生々しく収録されており、中学生たちはみな、あまりの光景に呆然としてしまいました。

閖上中学校
閖上中学校へ。時計は止まったままだ

閖上中学校へ。時計は止まったままだ  -中学生記者 人見くん撮影

「閖上の記憶」を出て、閖上中学校も訪問。意外にも、外構には目立った損壊が無いように見えましたが、学校らしい活気を失った異質な空気を感じざるをえません。そして、校門に入ってすぐに設置された慰霊碑と献花を目にして息を呑む一行。御影石には、長沼さんが話してくれた生徒14名の名前が刻まれていました。「私にも中学生の子どもがいるのですが、ここに刻まれた名前の中に、家族ぐるみで仲の良かった女の子がいるんです。親御さんは避難所で無事だったんですが、その悲しみの大きさを思うと、しばらく声をかけることができませんでした」と、悲痛な面持ちで長沼さんが語ってくれました。この話を聞いて、思わず無言のまま慰霊碑に手を添えるロザンのお二人。安田さんの「お線香があるので、お供えしましょう」という声に促され、中学生たちは線香を上げて手を合わせます。長沼さんは、「3年5組の生徒たちが、震災翌年の3月、亡くなったクラスメイトたちへ向けて黒板にメッセージを書きました。現在は、崩壊の恐れがあるので校内に入ることができませんが、津波の恐ろしさを教訓にするのと同時に、被災地の思いを伝える象徴として、こういったものも残せれば良いのですが…」と、話してくれました。

このメッセージを受け止めるのは、あまりにも辛い このメッセージを受け止めるのは、あまりにも辛い

このメッセージを受け止めるのは、あまりにも辛い -中学生記者 上園さん撮影

中学校を後にし、長沼さんもバスに乗り込んで、かつて商店街があった場所へ向かいます。震災前の風景を写真パネルで見せてくれましたが、道の両側に隙間無く建っていた店舗も、今は土台を残すのみ。海から2kmも離れているので、まさかここまで波が届くとは誰も思わなかったのだと、長沼さんは話します。「閖上地区は、私の親の世代から津波が届かない場所だと言われてきました。確かに宮城県沖地震の時も無事だったので、今回、津波警報が鳴っても、急いで逃げなくても大丈夫だろうと思い込んでいたんですね。それが、たくさんの死者を出した。だから、この苦い経験を繰り返さないために、ちゃんと後世に伝えていくことが大切だと考えています」と話してくれました。

日和山のふもとには、倒れたままの石碑があった

日和山のふもとには、倒れたままの石碑があった -中学生記者 松本さん撮影

バスが到着したのは、報道でもよく取り上げられている日和山。頂上には、以前からあった「富主姫神社」と、津波で社殿と鳥居が流されてしまい、震災後に遷座した「閖上湊神社」の2つの神社があります。鳥居をくぐって石段を昇った先には、閖上地区を一望できる眺望が。ロザン宇治原さんはカメラのファインダーを覗きながら、「こんな何も無くなってしまった広大な街が、ほんまに元通りになるんやろか…」とつぶやいていました。

閖上たこやき

日和山のふもとに、「閖上たこやき」の暖簾を掲げた屋台を発見。一行は、おいしそうな匂いにひかれて立ち寄りました。このお店は、商店街で橋浦きよさんというおばあちゃんが一人で作っていた地元名物のたこ焼きの味を受け継ぎ、移動販売を行っている「佐藤たこ焼き店」。残念ながら、橋浦さんは震災で亡くなってしまいましたが、店主の佐藤幸弘さんをはじめとする閖上たこやきを愛する人たちが、名物の味の再現に挑んでいます。ユニークなのは、たこ焼き3個を串刺しにした独特のスタイル。ロザン菅さんは、「関西のたこ焼きとは違うけれど、これもおいしいなぁ!」と絶賛していました。

閖上公民館跡地の説明を受ける

閖上公民館跡地の説明を受ける

最後に訪れたのは、閖上公民館跡地で、笑顔のフラワーアートをつくるため、地域の人々やボランティア約100名によって種がまかれたネクストとうほくアクションプロジェクトの花畑。すぐそばに、宅地嵩上げのための盛土の基準として造られた現地確認場があり、その5mの高さに立つと、見事なスマイルマークを眺めることができました。9月1日には、満開イベントも開催。この場所で花を咲かせるのは2回目となり、笑顔の輪をさらに広げています。

かさ上げのモデルから見下ろすことができるよう、作られているスマイルマークの花畑  -中学生記者 人見くん撮影

かさ上げのモデルから見下ろすことができるよう、作られているスマイルマークの花畑  -中学生記者 人見くん撮影

何も無くなってしまった閖上の街。それでも、再建へ動き出す希望の兆しは、中学生たちにも確かに感じられたはずです。そして、宅地や道路などの大規模整備といった難解な問題がいくつも目の前に立ちはだかっている現実も、この取材で学ぶことができました。

膨大な災害廃棄物が新たな街づくりの資材となる躍動の現場。

故郷の誇りと人生への明るい展望を、子どもたちの心に。