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石巻が直面している『いま』とは

 宮城県内で2番目に人口が多く、水産業をはじめ造船業や紙パルプ業などの産業を主として発展を遂げた石巻市。震災後は、津波被害の甚大さにより復旧が難航し、未だまちづくりの明確な見通しが立っていないのが現状です。
 石巻市はこれまで、独自の取り組みとして、宮城県出身の漫画家、故・石ノ森章太郎氏の協力を得て「石巻マンガランド基本構想」を策定、"萬画"をテーマにしたユニークな街づくりを実践しました。その中心施設である「石ノ森萬画館」も大きく損壊してしまいました。仮設住宅で暮らす被災者の数は多く、人口転出も深刻化。港湾施設や沿岸エリアの企業の復旧も遅延しているため、雇用に関する問題も抱えています。大きな被害を免れた中小企業も、補助金の交付を受けながらも、復興需要による建設費高騰やマンパワー不足、震災で失った販路の回復ができないなど、見通しが明るいとは言えません。
 多くの困難に直面している石巻ですが、市民団体や地元企業などが、それぞれ独自の視野による復興への取り組みに挑んでいます。今回は、石巻という街を、震災前の状況に戻すのではなく、新しくバージョンアップさせるため2011年6月に設立された一般社団法人ISHINOMAKI2.0の代表理事、松村豪太さんのガイドで、現在、精力的に活動している3団体を訪ねました。

逆境を乗り越え、浜の再生を目指す

逆境を乗り越え、浜の再生を目指す

牡鹿半島の入口にあたり、入り江がハマグリのような形からその名が付けられた蛤浜。震災後、居住者が3軒のみとなってしまったこの静かな海辺の再生に挑んでいるのが亀山さんです。
妊娠9ヶ月の奥様とお子様を亡くした悲しみを背負いながら、2013年3月に自宅を改築してカフェ「はまぐり堂」をオープン。
震災の記憶を風化させないのと同時に、海の素晴らしさも多くの人に知ってもらいたいという思いで、カフェを起点に大勢の人を呼び込む工夫を考えています。

石巻水産業の将来を描く

石巻水産業の将来を描く

昭和6年の創業で、水産加工品、練り物などの製造を80年間続けてきた山徳平塚水産。沿岸部に3つの加工工場を持っていましたが、津波の被害で全壊してしまいました。生産設備をすべて失ってしまったため、社員全員を一度解雇。一関、八戸両市の他社工場に委託して加工品の製造を開始しましたが、売上高は1割に落ち込んでいます。沿岸部の復旧がなかなか進まない状況ながら、自社生産の再開を目指して奔走。
石巻水産復興会議の将来構想ワーキンググループの代表も務め、地元同業社と連携しながらともに再生する道を模索しています。

若い漁師が紡ぐ浜の夢

若い漁師が紡ぐ浜の夢

石巻市北上町の十三浜地区で被災した、漁業に従事する5家族が集まって設立した浜人。震災前から、後継者不足や漁師の高齢化の問題を憂慮していた阿部さんが理事を務め、漁業の魅力を発信する取り組みを行なっています。Yahoo!や食品宅配業のオイシックスと連携し、石巻産の特大ホタテを"デカプリホ"と名づけ、地元ブランドとして販売。
品質には定評のある十三浜産のワカメも、キュートなゆるキャラでPRしながらインターネット販売するなど、独自の路線で販路の獲得を目指しています。

人が集い、希望が生まれる小さな浜の発信地。