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釜石市が直面している『いま』とは
釜石市立釜石東中学校は未だプレハブの仮校舎のままだ

釜石市立釜石東中学校は未だプレハブの仮校舎のままだ

岩手県の南東部、リアス式海岸の特徴的な地形で知られる陸中海岸国立公園のほぼ中央に位置し、海洋の影響と地理的条件から一年を通して比較的温暖な気候の釜石市。市の総面積は441.42平方キロメートルで、市域は東西29,552メートル、南北31,781メートルに及んでいます。

三陸沿岸にある他の市町村と同様、三陸漁場の中心港を有していますが、釜石市は近代製鉄発祥の地としても大いに発展した歴史を持っています。昭和30年代にはその隆盛を極め、人口増加が加速。昭和38年に人口92,123人のピークを迎えましたが、鉄鋼業の合理 化の影響などによって減少に転じてしまいました。平成22年12月末には、人口40,056人、17,575世帯に落ち着き、水産業と製鉄業は、現在も市の重要な基幹産業として中心に据えられています。

東日本大震災が引き起こした津波によって、死者・行方不明者が1,000人を超す大惨事となりましたが、市内の小中学生は、被災時、学校にいた生徒2,921人全員が無事に避難。下校後や欠席などで学校にいなかった生徒のうち5人と学校職員1人が行方不明となってしまいましたが、その数は他の沿岸都市より大きく下回ります。この事実は、多くのメディアに“釜石の奇跡”と取り上げられ、全国から注目を集めました。釜石市の小中学校における防災意識の高さは、平成16年から行っている群馬大学の片岡敏孝教授による指導の賜物。子どもたちの登下校時における避難計画の見直しや、津波の脅威を学ぶ授業などを熱心に行い、教師・生徒ともに災害に関する知識・認識を深めました。そして平成22年3月には、教師たちが手がけた「津波防災教師区のための手引き」が完成。市内14の小中学校で防災教育に取り入れられてきました。

津波てんでんこ

かつて、平成2年11月に、岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)で開催された「第1回全国沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家・山下文男氏らが、“津波てんでんこ”という標語を生み出しました。東北の方言で、“津波がきたら、人にかまわず必死で逃げろ”という意味です。これは、利己的に自分の命を守れということではなく、地域であらかじめ避難時の対策を立てておき、とっさの判断に迷って逃げ遅れないようにしようという有事の教訓として捉えられています。実際に釜石の小中学生たちは、自分たちのできる範囲で老人や要介護者を介助しながら、高台へ避難することに成功しています。釜石市の中学生は、“釜石の奇跡”が決して偶発的なものではなく、日頃の防災教育が多くの人命を救った自らの事例を示しながら、地域ごとによる防災意識向上の必要性を全国に訴えかけています。

'三陸の海と共に生き多くの喜びを得るために' 旅館 宝来館 女将 岩崎 昭子さん
'三陸の海と共に生き多くの喜びを得るために' 旅館 宝来館 女将 岩崎 昭子さん

目の前には根浜海岸の美しい景色が広がり、多くの観光客で賑わった旅館「宝来館」。震災による津波は、高台にある4階建の建物に甚大なダメージを与え、従業員3名の命も奪いました。しばらくは、避難場所として住民を受け入れていましたが、震災から1年後、同じ場所で営業を再開。自らも津波にのまれるという恐ろしい体験を経ながらも、三陸で生きていく自らの姿を世界中に伝えたいという気持ちで、全国各地から訪れる宿泊客を迎え入れています。また、この旅館を拠点に、大槌湾沿岸域を「どんぐりウミネコ村」と名付け、地域の活性化・復興のためのさまざまな活動にも精力的に取り組んでいます。

'奇跡を生み出した、いざという時の防災教育' 釜石市立釜石東中学校 生徒会執行部、フォトブックプロジェクト参加のみなさん
'奇跡を生み出した、いざという時の防災教育' 釜石市立釜石東中学校 生徒会執行部、フォトブックプロジェクト参加のみなさん

釜石東中学校も根浜海岸のすぐそばにあり、津波によって校舎すべてが水没。学校にいた生徒たちは、約1.5キロメートル離れた峠まで避難して全員無事だったため、鵜住居(うのすまい)小学校とともに“釜石の奇跡”とメディアを通じ賞賛されました。しかし、保護者を失った生徒も多く、現在通学しているのも小学校と合同の仮設校舎。まだまだ困難のなかにありながらも、自分たちの経験を糧に、さらなる地域防災活動に取り組んでいます。またニコンの復興支援活動の一つ、「中学生フォトブックプロジェクト」にも参加し、それぞれの『いま』を写真に収めたフォトブックを制作中。今回は、同じ年代の中学生記者と対面し、お互いに率直な意見に交わし合いました。

根浜の海に生きて、命の尊さを伝えるために。