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いわき市役所 市長 清水 敏男さん いわきリエゾンオフィス企業組合 理事 小磯 孝仁さん これからも続く苦難の道に、その先を見つめて。

豊間中学校を後にした一行は、最後の訪問先である市の中心部にあるいわき市立図書館へ。ここでは、いわき市長の清水敏男さんとお会いしました。市長からまず、震災時の状況と避難対策について説明を受けます。

いわき市長の清水敏男さんとお会いしました

地震の大きな揺れとともに交通は乱れ、電気もストップ。市中が混乱を極めるなか、「いわき市には、約33万人に市民がいるのですが、その人たちがすべて安全に避難できるまで自分は頑張るぞと心に決め、死をも覚悟しました」と当時の心境を語ってくれました。避難民が集まる学校の体育館も訪ね、限られた食材を使いながら炊き出しを実施。暖房が十分に効かず凍えるような寒さのなか、温かい食事を提供できたことが何よりも良かったと話します。

いわき市の受難は、原発事故により今もなお続いています。「市長としていわき市民の生活を守ることが第一の責務ですが、双葉町からも多くの方がいわき市に避難してきました。人口が急増してしまったために、被災者向けの住宅の建設が間に合っていないのが現状です。少しでも早く、双葉町民の方も安心して暮らせるよう、国の支援を求めながらスピードアップできるように働きかけているところです」と市長。宇治原さんからは、「33万人というたくさんの市民を安全に避難させるために、いざというときに稼働できるバスを用意しておくといいのでは」という提案が。市長は、「そうですね!確かに、インフラが寸断された時に、多くの人が運べるバスは有効だと思います」と頷いていました。また、中学生記者から、「私たちが被災地にできることは何だと思いますか?」と聞かれ、「皆さんには、今日の取材を通じて感じたことをいろいろな場所で発信していって欲しいと願っています。子どもだから何が出来ないかを考えるのではなく、皆さんだから出来ることをぜひ行動に移していって欲しいと思います」と、やさしい笑顔で語りかけてくれました。

図書館内の見学も勧められ、特別展示の「東日本大震災 復興応援写真 311以前」を観覧。そして、いわきリエゾンオフィス企業組合の小磯孝仁さんからも、震災の記憶について話を聞くことができました。当時は、地元新聞社の福島民報社に勤めていたという小磯さん。事務所があったホテルの建物の中で被災し、まるで空爆を受けたかのような感覚を受けたそうです。そして、母親が一人暮らしをしている実家がある双葉郡広野町へ。無残な状態の家にショックを受けながら、無事に避難していた母親と再会を果たしました。その後は、原発事故により広野町へ至る道路に検問が敷かれ、町への立ち入りが制限されるようになりました。「この震災があるまでは、放射性物質に関してあまり知識がなく、セシウムが空中に飛散することも知りませんでした。3月13日に広野町の実家に行った時に感じたセシウムの異様な味は、今も忘れられません。これが後に、白米や野菜の放射線全量検査にまで発展し、住めない土地をつくる要因となるとは、残念でなりませんね」と、臨場感ある体験談を聞き、震災がもたらした災厄が、まだ過去のものにはなっていないことを痛感しました。

失ったからこそ気づいた、日常にあふれる大切なもの。

中学生記者の感想 ロザンの『いっしょに考えよう』コーナー