それは、東北と日本中を笑顔でつなぐプロジェクト
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いわき市立豊間中学校 失ったからこそ気づいた、日常にあふれる大切なもの。
いわき市豊間小学校敷地内の仮設校舎

仮設住宅の入り口で、小さく見えなくなるまで手を振ってくれた齊藤さんに名残惜しい気持ちを感じながら、バスが向かった先は海辺の学校。いわき市豊間小学校敷地内の仮設校舎では、8名の豊間中学校の生徒が、一行を待ちうけていました。お互い簡単な自己紹介を済ませて音楽室へ。そこで、桐生由久子校長先生から、映像とともに震災時の恐ろしい経験を教えてもらいました。生徒たちは高台に避難して、亡くなった人は一人もいませんでしたが、電気もガスも無く、ロウソクの明かりで生活する苦難の日々を強いられます。それでも、被災した年の4月に藤間中学校の東校舎で教育活動を再開。生徒たちの困惑を恐れていた校長先生でしたが、当時3年生だった女子中学生が言った「私たちがいるところが学校」という言葉を聞いて、心強く感じたそうです。そんな時、校長先生が大切にしたのは、みんなで校歌を歌うこと。「校歌の歌詞には、学校のある町の歴史や風景がいっぱい詰まっています。それを歌うことで、同じ地域に住み、学ぶ仲間として気持ちを一つにできると思いました」と語ってくれました。

桐生由久子校長先生から、映像とともに震災時の恐ろしい経験を教えてもらいました。

教室を移動して、今度はロザンのお二人を中心に、中学生同士のディスカッション。「豊間中学校って、どんな中学校か教えて!」と、菅さん。豊間中の生徒たちは口々に、「遊び場が少ない」「海がきれい」と話します。「確かに、町場からはちょっと遠いかもなぁ。ちゃんと、週刊少年ジャンプは月曜日に読める?」と菅さんが聞くと、教室中に笑いが満ちあふれました。そして、宇治原さんから、「じゃあ、みんなの将来の夢を教えてもらおうか」という提案が。男子からはサッカー選手、ロボット工学のエンジニア、女子からはペットのトリマーといった華のある夢を聞くことができました。中学生記者、豊間中生のどちらにも多かったのが、“人の役に立つ仕事がしたい”という将来の願望。それぞれ直接的、間接的に震災を体験した中学生たちですが、その経験が、自然と“人助け”という言葉に繋がっていくのかもしれません。

教室を移動して、今度はロザンのお二人を中心に、中学生同士のディスカッション。

豊間中学校生からも、「実際に被災地に来て、どう思いましたか」という質問を中学生記者に投げかけました。初めて震災地を訪れた中学生記者は「家の基礎部分が剥き出しになっているのを見て、恐ろしさを感じました」と答えます。また、「被災した時の経験を聞いたことで、自分たちがこれからするべき防災とは何かを考えるきっかけになりました」とも話してくれました。

今度は中学生記者から、「故郷についてどう思いますか」と聞かれ、「時々、震災前の日常を夢に見ることがあるんですが、目が覚めると寂しい気持ちになります。友達と海で遊んだ思い出だとか、伝統芸能のじゃんがら念仏踊りに参加したりだとか、地元には大切なものがいっぱいあったのだと、今振り返ってみるとそう感じています」と豊間中学校生。そして、別の生徒も「これからは、自分の故郷に受け継がれている自然や文化を大事にしていきたいという気持ちが生まれました」と話してくれました。

最後に、大分県の中学生記者 村松樹君から、佐伯市立米水津中学校の生徒たちが折った千羽鶴を豊間中の生徒たちに贈呈。思わぬ贈り物にビックリしていましたが、喜びの笑顔が教室にあふれました。

大分県の中学生記者 村松樹君から、佐伯市立米水津中学校の生徒たちが折った千羽鶴を豊間中の生徒たちに贈呈。

町民たちの絆を再び結び、故郷の暮らしを実現するために。

これからも続く苦難の道に、その先を見つめて。