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ワークショップ いまだ癒えぬ被災地の現状に心痛めながらもファインダー越しに都市型防災の未来を確信。

仙台市内の各地で取材を行った中学生記者8名は、次の日、取材レポートの作成に取り組みました。被災地の『いま』を伝え、各地の取材テーマや防災について学んだことを中学生記者の地元に持ち帰ってもらうことが目的です。まずは、撮影した写真の中から、特に印象に残っているものをセレクトする作業に着手。安田さんにアドバイスをもらったり仲間と相談したりしながら、パソコンのモニターに映る画像のサムネイルを確認していると、取材した方々から聞いたフレーズが頭の中に次々と浮かんできます。数枚セレクトしたら、取材メモを見ながら記事原稿を作成。それぞれ、自分たちの言葉で素直な感想や震災に対する考え方を綴りました。「今は穏やかな海なのに、荒浜の町をこんな状態にしてしまう津波の恐ろしさにショックを受けました」と壇上で発表した米田くん。雁瀬さんは、荒浜地区の人が早く戻ってくるように願いを込めて掲げた黄色の旗の写真を選びました。そして、ゼビオアリーナ仙台の充実した帰宅困難者のための設備や、日鐵住金建材株式会社の「セーフガードタワー」に中学生記者たちはたくさんシャッターを切ったようで、都市型防災へ意欲的取り組む人々の姿をしっかりと捉えていました。

後半は、安田さんによるワークショップを開催。「学校から下校する前、震度6強の地震が起きたら?」といった具体例を示したディスカッションを行ったり、非常持ち出し袋に用意すべきものを思いつくだけ付箋紙に書いて模造紙に貼ってみたりと、楽しみながら防災について学ぶ時間に。今回の取材で実体験として得た経験、そして自分たちなりに考えを出し合って得た知識は、きっと災害に対する強い心構えとになるはずでしょう。

ワークショップの様子
ワークショップの様子
中学生記者の感想

加藤 多貴くん(兵庫県/西宮市立学文中学校2年)

加藤 多貴くん(兵庫県/西宮市立学文中学校2年)
震災から3年が経って、最近ではテレビのニュースでも報道されることが無くなってしまったので、現地の様子はここに来るまで分かりませんでした。荒浜地区を実際に歩いてみて、まだまだ復興が進んでいないことを実感しました。

小原 瑠菜さん(大阪府/吹田市立第二中学校1年)

小原 瑠菜さん(大阪府/吹田市立第二中学校1年)
今回の取材で特に印象に残ったのは、深松努さんが言った「感謝報恩」という言葉でした。非常時に助け合うことがとても大事なことだと思うので、この精神はずっと持ち続けていきたいと思います。

米田 啓祐くん(青森県/青森市立浪打中学校2年)

米田 啓祐くん(青森県/青森市立浪打中学校2年)
お話をしてくれた方みんなが、地元に帰ったらこの取材で感じたことを周りの人たちに話して欲しいと言っており、震災を体験している仙台の人たちは、この大変な経験を日本中の人に知ってもらいたいのだという、思いの強さを感じました。

吉村 唯菜さん(高知県/奈半利町立奈半利中学校1年)

吉村 唯菜さん(高知県/奈半利町立奈半利中学校1年)
仙台の街中とは違って、荒浜地区はまだまだ復興が進んでいなかったように見えました。いつか元の街並に戻れるよう、復興事業がさらに前進して欲しいと思いました。

熊谷 はるかさん(東京都/女子学院中学校3年)

熊谷 はるかさん(東京都/女子学院中学校3年)
仙台には、「ゼビオアリーナ仙台」のような帰宅困難者が泊まれる施設の整備が進んでいるけれど、東京にはそのような場所が見当たりません。大きな震災が発生するかもしれないことを想定して、仙台のような一時滞在場所を作るべきだと思いました。

雁瀬 真七実さん(滋賀県/滋賀県立守山中学校3年)

雁瀬 真七実さん(滋賀県/滋賀県立守山中学校3年)
被災地の復興は大人が頑張ることで、中学生のような子どもには何も出来ることがないと思っていました。でも震災当時、避難所で中学生が活躍したという話を聞いて、同じ年代の子たちが褒められているのがうれしく思い、私たちにも支援のためにできることがあるのではないかと考えさせられました。

田仲 駿太くん(大分県/大分市立大在中学校3年)

田仲 駿太くん(大分県/大分市立大在中学校3年)
荒浜地区を見学して、自然の災害はいつ起こるか分からないと感じ、普段から防災の意識を持つことが大事だと思いました。取材で聞いた防災の知識や心得を、自分や身の回りの人の命を守るため、地元の人たちにしっかりと伝えていきたいです。

直原 加奈さん(岡山県/就実中学校3年)

直原 加奈さん(岡山県/就実中学校3年)
荒浜には、かつて家がいっぱいあってたくさんの人が住んでいたのに、今は家の基礎部分や建材の一部だけしか見られなくなってしまい、あらためて津波被害の怖さを感じました。私が見たことを、身の回りの人たちに話してあげたいと思います。

ロザンの『いっしょに考えよう』コーナー
  • ロザン 菅さん 今回の中学生記者も、ほんまに真面目な子ばかりで。みんないい子たちだったな〜。宇治原さんは苦手だったようで、誰にも声をかけてあげませんでしたけど(笑)。
  • ロザン 宇治原さん いやいや、しゃべってましたよ!たくさん!(苦笑)
  • ロザン 菅さん ほんまに、取材もきちんと行う良い子ばかりでした。
  • ロザン 宇治原さん 昨年度の中学生記者に負けず劣らず、取材に積極的だなと感心しました。今回は人数が8人と多かったので、賑やかだったのも色々話しあえて良い効果を生んだのではないでしょうか。今回の取材では、震災から3年経って被災地はどう変わっているのか、復興が進んでいるところ、まだまだ課題となっている部分を、自分たちの目で確かめてもらい、正直に伝えていって欲しいなと思っています。
  • ロザン 菅さん 子どもの目線で撮影した写真って、同じ年代の子どもたちに思いが伝わりやすいと思うんですよね。だから、どんどんシャッターをきっていって欲しいです。
  • ロザン 宇治原さん 今回は、帰宅困難者がテーマでしたけれども、仙台のような都市部に住む人たちにとって、重要な問題になっていくのだと感じました。特に、東京や大阪は仙台以上の規模があって予想以上に大きな混乱が発生するでしょうし、津波や避難所のことだけでなく、帰宅困難になるという状況もよく考えるべきではないかと思いました。
  • ロザン 菅さん ほんまに、大阪へ帰ったら、帰宅困難になったらどういう場所へ避難すればいいか、よく見とかなあかんなと思いましたね。
2014年度のプロジェクト始動にあたって
宇治原史規さん 菅 広文さん

自分が中学生の頃を思い出したら、大人の今より吸収力があったなと思います。見たもの、感じたものをダイレクトに受け入れられる力がみなさんにはあるはずですから、素直な気持ちで取材に当たり、いろいろなことを学んでいって欲しいと願っています。

自分が住んでいる地域に、どんな役立つ知識や情報を得られるかを考えて、中学生記者たちには取材に臨んで欲しいですね。そのためにぼくらも、被災地の方々との橋渡し役として一所懸命ナビゲートしていきますので、ぜひ頑張ってくださいね。

安田菜津紀さん

昨年度は、津波の被害が甚大だった沿岸部を中心に取材を行っていましたが、震災の被害というのは津波だけでないことも知って欲しいと思っています。災害は、自分が想定していない場所でも起こりうるし、どんな状況で被災するか分かりません。その時、自分自身の安全をどうやって確保するか、実践的な知識も学べる機会になればいいですね。そして、どこの被災地に行っても、出会う方みんなが悲しい思い、悔しい思いをして、二度とこのような悲劇を繰り返して欲しくないと願ってお話ししてくださいます。そんな気持ちを、中学生それぞれが真っ直ぐに受け止め、我が身のものとして持ち帰ってくれれば幸いです。

事前のオリエンテーションをニコンプラザ仙台で実施、取材地の情報を学び、写真の撮り方を学びました。
事前のオリエンテーションをニコンプラザ仙台で実施、取材地の情報を学び、写真の撮り方を学びました。

事前のオリエンテーションをニコンプラザ仙台で実施、取材地の情報を学び、写真の撮り方を学びました。

編集後記 -ネクストとうほくアクションプロジェクト事務局より-

2014年度の最初の取材地となった宮城県仙台市。震災から3年経ち、初めて都市防災の取組みに触れました。

「都市型防災の取組みを仙台市から学ぶ」が、今回のテーマでした。

初めて来仙した中学生には、もはや仙台市中心部では東日本大震災の爪痕をみることは無いので、市内沿岸部との違いに違和感を感じたと思います。東日本大震災後の仙台市は被災地の中心にありながら、沿岸部への拠点として様々な地域と連携し震災時の混乱を乗り越えてきました。それと同時に、人口100万人以上の仙台市では、都市防災対策の最重要課題とされる「帰宅困難者対策」が着々と進められています。

今回参加してくれた中学生のために、仙台市の職員の方々及び建設業の方、また具体的に帰宅困難者対策に携わる民間の施設や独自の避難施設を展開する沿岸部の企業の方々に協力をいただき、休日にも関わらず取材を快く引き受けてくださり、実現することが出来ました。

また、過密スケジュールの合間を縫って訪れた仙台市若林区荒浜地区。若林区60%が浸水したと言われる津波の威力が残した痕跡は、中学生のみなさんにも印象深く残ったことと思います。

中学生の皆さん、2泊3日間の短い仙台での取材体験でしたが、地元に持ち帰り家族や友達、学校のみんなにその経験を是非伝えてほしいです。そして、仙台市の取り組んでいる防災について、自分の地元の町と重ねて考えてみてください。また、いつ来るかわからない災害のことについて、身近な家族とちゃんと話しあってください。「もし外出中に地震に遭ったらどうするか」「どこに避難するか」。そんな身近なことを家族と話すことで、防災への備えになっていくのです。

仙台市の職員の方々及び建設業の方、また具多的に帰宅困難者対策に携わる民間の施設や独自の避難施設を展開する沿岸部の企業の方々に協力をいただき、休日にも関わらず取材を快く引き受けてくださり、実現することが出来ました。
2014年度の最初の取材地となった宮城県仙台市。震災から3年経ち、初めて都市防災の取組みに触れました。

被災地の企業だからこそ生まれた堅固な津波避難タワー。

Chapter 2 壊滅的な被害を受けた釜石市と大槌町の『いま』と、防災意識を習慣づける為に始まった新しい取組み 岩手県釜石市・大槌町を見る