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釜石市・大槌町が直面している『いま』とは
ナビゲーターロザンが解説!
大槌町役場前からの『いま』の景色

大槌町役場前からの『いま』の景色

  • ロザン 菅さん 大槌と釜石には、昨年の夏にも取材に来たよな。
  • ロザン 宇治原さん 地域再生のため同じ場所で旅館を再開させた女将さんや、仮設の中学校で多くの人に震災の記憶を伝えていこうと頑張っている生徒会の子らに出会いましたね。
  • ロザン 菅さん そやね、釜石の小中学生が助かったのは、“釜石の奇跡”って呼ばれているんやったな。
  • ロザン 宇治原さん そんな頼もしいエピソードがある一方で、震災による死者・行方不明者は大槌町で 1,232人、釜石市で 1,042 人と多くの犠牲者を数え、街並も大規模に破壊される被害となってしまったのは、本当に痛ましい事実やね…。
  • ロザン 菅さん ここいらの地域では、過去の教訓から、津波がきたら人にかまわず必死で逃げろという「津波てんでんこ」っていう標語があるんやろ? それでも、これほどまでに大きな被害をうんだというのは、予想を超える事態やったんかな
  • ロザン 宇治原さん 自然の災害に対する備えに、十分ということがないということやな。今、大槌と釜石では、災害に強い新たな町づくりを推進しているとともに、住民自身が確実に津波から避難できるよう、身近に実践できる取組みを実践しているらしいで。
  • ロザン 菅さん それは素晴らしい話やな!いつまたくるか分からん震災やけど、有事に備える心構えと避難経路の情報がしっかりと身に付いていれば、自分たちそれぞれが命を守る行為になって、犠牲者が少なくなるはずやもんな!
  • ロザン 宇治原さん その通り!そして、被災地で培ったこの「避難文化」を、他の地域にも伝えていくことが大事やね。
  • ロザン 菅さん そのためにも、僕らや中学生記者たちが現地でしっかりと取材しなあかんな〜!
  • ロザン 宇治原さん 我々の仕事は重要やな。ほな、気張って取材にいきましょか!
'みんなが愛する町だから 安心で、暮らしやすく' 大槌町役場 町長 碇川豊さん
'みんなが愛する町だから 安心で、暮らしやすく' 大槌町役場 町長 碇川豊さん

大槌町役場は、震災時に庁舎建物が全壊してしまい、前町長を含む職員40人が犠牲に。そのため、直後は行政機能がストップし、町全体が混乱状態に陥ってしまいました。仮庁舎は1ヵ月半程で完成し、現在は旧大槌小校舎を修復した新庁舎で町政運営を執り行っています。今回お話を聞いた碇川町長は、5ヵ月以上空席だった町のトップとして2011年8月に就任。復興計画に民意を採り入れながら、暮らしの再建を重視した新たな町づくりに邁進しています。

大槌町ホームページ
http://www.town.otsuchi.iwate.jp

'坂を駆け上がる勢いを 命を守り切るための力に' 日澤山 仙寿院 住職 芝崎 恵應さん
'坂を駆け上がる勢いを 命を守り切るための力に' 日澤山 仙寿院 住職 芝崎 恵應さん

釜石市街を見渡す高台にある日蓮宗の寺院の住職で、釜石仏教会の会長も務める芝崎恵應さん。震災当日は、街の中まで押し寄せてきた津波から避難する住民を受け入れました。後述の下村さんたちとともに、兵庫県・西宮神社で行われている開門行事「福男選び」を参考にして、今年2月「新春韋駄天競走」を実施。高台を駆け上がることで震災の記憶を再現し、次世代に避難意識を伝えるための恒例行事にしたいと願っています。

仙寿院ホームページ
http://senjyuin.info

'年中行事にすることで 走ることの意義を未来へ' 釜石応援団 ARAMAGI Heart 下村 達志さん
'年中行事にすることで 走ることの意義を未来へ' 釜石応援団 ARAMAGI Heart 下村 達志さん

30代を中心とした地元在住者、もしくは出身者で結成された釜石の復興を支える有志団体「釜石応援団 ARAMAGI Heart」。その中心メンバーである下村さんもまた、釜石の漁師町で育った一人です。津波による悲劇を繰り返さないため、「韋駄天競走」を発案。仙寿院の芝崎住職の協力を得て、開催を実現しました。大きな悲しみを目の前に、地域で開催の是非を問われる事もあったそうですが、避難意識の継承のため奔走しています。

釜石応援団 ARAMAGI Heart ホームページ
http://kamaishi-ouendan.com

'既存認識の過ちを正し 適切な避難ができる体制を”' 鵜住居地区防災センターに関する 被災者遺族の連絡会 会長 三浦 芳男さん
'既存認識の過ちを正し 適切な避難ができる体制を”' 鵜住居地区防災センターに関する 被災者遺族の連絡会 会長 三浦 芳男さん

防災と地域づくり両面の拠点として、2012年2月に開所した鵜住居地区防災センター。海岸まで約1.2キロメートルの場所にあるため、やはりこの建物も津波の被害を受け壊滅しました。防災センターという名前から、多くの住民が災害発生時に向かうべき一時避難場所として認識。このことが、所内で多くの人が亡くなる悲劇を生んでしまいました。同所で奥様を亡くされた三浦さんは、この取材で防災意識の徹底を訴えました。

大槌の海とともに長い歴史を刻んできた町ゆえの復興計画。