望月社長から、全線再開に向けた希望あふれる話を聞いた後、実際に列車に乗って田老駅を目指しました。車中、みんな仲良く並んで座ったベンチシートで、車窓を眺めたり会話を楽しんだりと、ローカル列車の旅を満喫。男子2名は運転室が気になる様子で、車両の先頭でしきりにカメラのファインダーをのぞいていました。
運転席横から撮影
田老駅から現地を見下ろす。
トンネルを越えて間もなく目的地に到着。田老駅のホームに降りると、目の前の景色の不自然さに気がつきます。田老地区は津波の被害が特に大きく、家屋や高い建物が失われてさびしい景色が広がっています。中学生たちには、冬空に吹く風が一層冷たく感じられたはずです。
©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
たろう観光ホテルの1階、2階部分。津波が全てはぎ取ってしまい鉄筋のみが残る
バスに乗り換えて向かった先は、1・2階部分の鉄筋が剥き出しになった「たろう観光ホテル」。他に建物が見当たらない場所で、ホテルの社長である松本さんと宮古市役所の盛合さん、山崎さんが一行の到着を待っていました。まずは、松本社長の先導でホテルの非常階段を上り、最上階を目指します。鉄骨の骨組み以外、すべて剥ぎ取られた下階の凄まじい様子に、あっけにとられる一行。「こんなすごい津波やったんやな…」と宇治原さんは、ぽつりともらします。上の階にホテルの客室としての内装がそのまま残っているため、その差が際立ちます。
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6階では、松本社長自身が撮影したという、津波が押し寄せる瞬間をとらえた映像を鑑賞しました。濁流と轟音、まるで真っ黒な獣の群れのように襲いかかる水の流れに、恐怖の色を隠せない女子中学生たち。松本社長は、「語りだけでは伝わらない津波の恐ろしさを感じてもらい、不確かな情報や身勝手な判断に頼らず、とにかく高台へ逃げなければいけないという意識を持って欲しくて、この映像を見ていただきました」と語ります。その上で、“津波てんでんこ”ということばを投げかける松本社長。「これは、それぞれが自分の命は自分守りなさいという、まさに事実に即した教訓なんです」と教えてくれました。
この衝撃的な映像は、WEBなどで公開はされていません。この「たろう観光ホテル」でのみの上映となっています。実際に撮影された現地で、目前に広がる光景を見て感じながら考えて欲しいという思いが込められています。
津波映像の衝撃が消せないまま次に向かったのは、“万里の長城”に例えられ、震災前は国内外からの見学者が絶えなかったという防潮堤。ここでは、宮古市都市整備部都市計画課の盛合課長と、危機管理課の山崎さんがガイドを務めてくれました。海抜10m、長さ2,600mというスケールで田老地区に大きく“X(エックス)”を描く巨大堤防にみんなビックリ。盛合課長は、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波の大惨事を紹介し、世界一の堤防ができたいきさつを教えてくれました。「第1から第3の防潮堤が造られ、建設に約45年を必要としたんですよ」と山崎さん。まさにこの場所は、津波との戦いの歴史を物語っています。
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防潮堤の上から、街を見下ろす。かつては人の営みがあった場所だ。
階段を上ってみると、その大きさが実感できました。盛合課長はたろう観光ホテルのある山手の方を指さし、住まいの高台移転を行う「防災集団移転促進事業」について説明。一般住宅を約200戸、公営集合住宅を約50戸造成中で、それに伴う道路や公共施設も建設しているそうです。また、今回の津波によって第2防潮堤と第3防潮堤が破壊されたため、以前より4.7m高く建造する予定。「将来、皆さんがこの場所に来たら、海は見えなくなっているでしょうね」と盛合課長。中学生から「地域の住民の方は、移転事業に関してどのように感じているのですか」と問われ、「防災集団移転促進事業と区画整理事業に関しては、各地区で事前に検討会を数回行い、町内会長さんなどの代表の方々からさまざまな意見をいただいています。この田老地区は、昔から津波の被害を何度も繰り返しているので、全戸高台移転をしたらいいのではないか、と主張する声もあったんですよ」と盛合課長。高台移転やさらに高い防潮堤を造った後でも怖いと思うことは何かを聞くと、「昭和三陸津波の教訓で、“津波てんでんこ”の精神が住民の皆さんのなかに生まれましたが、それがいつか途絶えてしまうのではないか、ということを恐れています」と山崎さんは話します。「これから先、どんな規模の津波がきても大丈夫な防潮堤を造ればいいのでは? 例えば、高さを50mにしてしまうとか…」と菅さん。盛合課長は苦笑いしながら、「これまで、過去の記録に基づいてより堅固な防潮堤を造ってきましたが、東日本大震災の津波はそれを遙かに超えてしまいました。より巨大な堤防を造りたいのはやまやまですが、それには莫大な費用を必要です。50mはさすがに現実的じゃないでしょうね。より安全な防潮堤を建造するのはもちろんですが、住民の方々に避難と防災の備えをしてもらうことも大事だと思っています」と話してくれました。
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街をぐるりと取り囲む防潮堤。万全の備えのはずだったが・・・市街は壊滅した。