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宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉出張所 支所長代理 阿部 富士夫さん ホタテ部会長 佐々木 和志さん カキ部会長 後藤 清広さん ワカメ部会長 須藤 鉄夫さん 震災を糧に、より品質の高い生産の取り組みへ。
戸倉出張所の所長・阿部さんの案内で、まずは漁船に乗る体験からスタートしました。

晩秋の涼やかな風に誘われ、一行のバスが到着したのは、静かな水面をたたえる志津川湾の小さな漁港。そこに、最初の取材場所である宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉出張所があります。出迎えてくれたのは、たくましい血色をした海の男達4人。その中の一人、戸倉出張所の所長・阿部さんの案内で、まずは漁船に乗る体験からスタートしました。

中学生たちは海に落ちないよう必死の形相

思っていたよりも漁船のスピードが速く、揺れも激しいので、中学生たちは海に落ちないよう必死の形相に。やや慣れてきた頃、あたりを見回すと周囲に美しい景色が広がっており、小島や日差しできらめく海原を撮影し始めました。漁船のスピードが緩んだ頃、まわりにパイプや網などで組まれた人工物がたくさんあることに気づきました。「あれが、銀ザケを養殖している生け簀です」と阿部さん。ちょうど水揚げするために作業していた船があったので近づくと、引き上げられたカゴの中に、たくさんの銀ザケがひしめいていました。「大きいなぁ!」と思わず感嘆の声をもらす中学生。切り身を食卓でしか見たことの無い彼らにとって、生きた銀ザケを目の当たりするのは貴重な経験だったようです。

その先に進むと、竿のようなものがいくつも並んだ場所がありました。カキ部会長の後藤さんがその一つをクレーンで引き上げると、ロープに一定間隔で育ったカキの塊が。そのいくつかをもぎ取り、殻を開くと真っ白でふっくらとした身が現れました。後藤さんにすすめられて、中学生記者たちは獲れたてを味わうと、そのおいしさにビックリ。普段、生のカキに慣れていない中学生たちも満足の様子で、それを見ていた阿部さんは、「君は将来、お酒好きになるかもなぁ」と笑っていました。

さらにホタテの養殖場所でも生で実食。

さらにホタテの養殖場所でも生で実食。魚介が苦手だという和歌山県の中学生記者 小出さんも、すんなりと喉を通って不思議な面持ちに。思わず、「プリプリして甘いね〜!」とうれしそうな笑顔になったのが印象的でした。「カキもホタテも、養殖筏はすべて津波で流されてしまったので、無事な資材を集めたり新しく買い直したりして揃えました。種牡蠣はわずかに残ったものを見つけることができ、ホタテは北海道で養殖している生産者の方から稚貝を分けていただいたので、こうやって養殖を続けることができたんですよ」と阿部さん。漁師さんたちの並々ならぬ苦労を知り、漁船の上で味わったカキやホタテの味は、一層味わい深いものとなったはずです。

漁船が港に戻る途中、志津川湾名物のマダコにも会うことができました。

また、漁船が港に戻る途中、志津川湾名物のマダコにも会うことができました。怖々と触ってみると、足の吸盤に吸われて思わず声を上げてしまい、みんなで大笑いしていました。

港から帰りがけ、阿部さんは「あの山肌の上の方まで、津波が来たんですよ」と指差します。その先は遙か頭上。今は、何事も無かったような静かな景色ですが、大津波の脅威が、この戸倉の浜にも襲ったことを想像し、思わず一同の顔が強ばります。

山の高さが、津波の大きさを物語る。
山の高さが、津波の大きさを物語る。

山の高さが、津波の大きさを物語る。

漁船体験の後は、「タブの木 漁協直販店」に併設された体験学習施設でインタビュー取材を行いました。山形県の中学生記者 澁谷君は、「銀ザケ養殖の量は、震災前と後でどのように変わりましたか」と質問。阿部さんは、「銀ザケの養殖は震災があった年の秋に再開しました。その年は、震災前の約半分。今年は以前と同じ程度に戻り、戸倉地区では120tの水揚げがあります」と答えてくれました。佐賀県の中学生記者 山中さんが震災後の気持ちの変化を聞くと、「私たちはこれまで、海を乱雑に扱っていたんだと痛感しました。養殖筏の数も増えすぎてカキの品質も落ちてしまい、価格が下がり気味だったのが当時の悩みでした。震災を契機に、収穫量が減ることに不安はありながらも筏の数を1/3に減らしたことで、今まで成長に3年もかかっていたのが1年と短くなり、味も格段においしくなりました。以前は、市場で一番安い値付けだったのが、今では上位に入るんですよ。また、災害リスクの軽減にもなりました」と後藤さん。三重県の中学生記者 廣さんは、養殖業を再開して良かったことについて質問しました。

Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE

ホタテ部会長の佐々木さんは、「被災して漁業以外の仕事をしたことがあったんですが、やはり浜に戻りたいという気持ちが強かったんです。こうやって、ホタテの養殖を再開し、みなさんが食べたようにおいしいと言ってくれることが何よりもうれしいですね」と笑顔。そして、ワカメ部会長の須藤さんは「家や漁船を失った漁師が多く、これからの暮らしに不安を抱いている人がたくさんいました。私は、家族一緒に暮らせる幸せを実感し、それが仕事の原動力になっています。今は、浜の人たちみんなが、どこにも負けないおいしい海の幸を生産しようと意気込んでいます。みなさんには、震災の恐ろしさと一緒に、今、頑張っている戸倉の漁師の姿も伝えていって欲しいですね」と、力強く訴えかけていました。

南三陸町が直面している『いま』とは

商店街を再興する熱意で、人が行き交う元気な町に。