武田友美さん(静岡県/静岡市立清水両河内中学校2年)
実際に現地に来ると、テレビなどを通して見るよりも実感がわき、逃げ遅れた人もいたという事実が心に迫りました。地元に帰ったら、今日、見聞きしたことをありのままに伝えていきたいと思っています。
松下美優さん(千葉県/流山市立東部中学校3年)
壊れてしまった建物や被害にあった場所を自分の目で見ることで、いろいろ感じ取れることがたくさんありました。特に、ホテルで津波の映像を見た時、この恐ろしい出来事が確かにあったのだと理解し、もし自分がその場所にいたらちゃんと避難できたか、ということを考えさせられました。
竹田碧泉さん(山口県/下関市立夢が丘中学校2年)
自分の目で見て、いろいろな方から話を聞いて、この震災がとても大変なことだったと改めて分かりました。そして、それが決して人ごとではなく、今日の取材についてしっかり他の人にも伝えなければいけないと感じました。
宮﨑啓太郎くん(宮崎県/宮崎市立青島中学校3年)
テレビ番組などを見て、十分に悲惨な状況だと分かって取材に臨んだのですが、実際に被災地に来て体感したことで、まだまだ知るべきことがあったと感じました。たろう観光ホテルで見た津波の映像は、本当に衝撃的でした。
今村 碧くん(長崎県/長崎市立土井首中学校3年)
初めて東北に来たのですが、やはり百聞は一見にしかずだと思いました。三陸鉄道の再開に地元住民が団結して支えてきたという話などは、これからもっと知るべきだと思うし、津波は恐ろしいけれど、これからも海とともに生きていきたいと願う人々の考えにももっと触れてみたいと思いました。
©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
列車の中で、中学生と真剣に話すロザン。
今回の取材は「インフラ整備とまちづくり」をテーマに宮古市を訪れました。最初に、自宅を津波で流出しながらも復興の舵取りを行なう山本市長に震災直後から現在までの経過をお聞きしました。「つらいのは被災地が忘れ去られること。常に気に掛けてもらえるだけで励ましになる」という言葉に震災を風化させてはいけないという活動の原点を改めて認識。街の原風景をわからない中学生記者たちが「この地には震災前どのような日常が存在したのか?」「今この土地がどのような問題に直面しているのか」を理解しようと真剣に質問する姿が印象的でした。
次に、4月に全線復旧を控える三陸鉄道本社では望月社長に、住民の足を守るため、鉄路復旧を早期に決断した震災直後の状況を取材。「地元の鉄道が、地元の人のために」という想いに胸が熱くなりました。
その後訪れた田老地区では震災遺構での保存が決定した「たろう観光ホテル」と“万里の長城”ともいわれた防潮堤を取材。同地区は過去にも明治・昭和の三陸大津波でそれぞれ1,000人以上の犠牲者を出した辛い過去を持ち、防災意識は県内でもトップレベルでした。たろう観光ホテルの松本勇毅社長は「この防潮堤があることで犠牲者が増えたのかもしれない」と当時を振り返りました。松本社長はあの日4階まで津波の襲来をうけて破壊された同ホテルに現在も住み、津波襲来の瞬間をとらえた映像を見せながら、訪れる人々に当時の様子を伝え続けています。
全長2,600m、建設に45年を要した大防潮堤が木端微塵になっている様子を目の当たりにし、人間の作り出したものがいかに自然に抗えないかということを痛感させられました。これからのまちづくりには「防ぐための防災」ではなく、逃げる(避難する)という視点でのインフラ整備を期待したいと感じています。今回取材にあたった5名の中学生記者が今このときも自分の故郷で被災地の『いま』を語り継いでくれていることを現地の人間として、心から願っています。