中学生5人を乗せたバスが、まず初めに訪れたのは宮古市役所。ここでは、山本正徳市長が出迎えてくれました。市長室に通され、やや緊張気味の一行。それぞれ自己紹介した後、山本市長の話に耳を傾けました。配布された資料を元に宮古市の概要を説明、そして、震災当時の経験談を語ってくれました。「みなさんは事前に調べてご存知の通り、宮古市は津波の被害が甚大でした。水の災害のため、波にのまれて亡くなった方が大勢います。そして、一人でも多くの住民を救おうと一所懸命働いた消防士や消防団員、警察官も22名が命を失うことになり、非常に残念に思っています」と悲痛な面持ちで話す山本市長。市長自身も、自宅と歯科医院を流され、仮設住宅暮らしを強いられたそうです。
©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
市長室でお話を聞く。少し緊張?
中学生から「市長として、最初に行った行動は何ですか」という問いに、「たくさんしなければいけないことがあったので、まずは自分の中でやるべき事を整理することから始めました」と振り返ります。かろうじて通じる携帯電話を頼りに関連各所へ連絡を飛ばし、住民避難や災害対策を指示。さまざまな困難に阻まれながらも、市長としての任務を全うしたそうです。
震災から時を経て、復興の道をたどる現在。自らの経験を顧みながら今後の施策を進めていると語ります。「住まいが無ければ働くことができないし、産業が無ければその土地で暮らすことができません。だから、その両方をスピードアップして推し進める必要があるんです」と山本市長。さらに、津波被害の恐れがある場所へなるべく建築物を造らないようにする条例の制定や、この震災で露呈した脆弱なインフラの整備や、バイオマス発電といったいざという時に強いエネルギーの自給自足化など、実に多分野にわたって取り組んでいます。「今まさに、住宅移転地の造成中ですし、海沿いに新たな防潮堤も造っています。みなさんには、震災を体験した我々だからこそできる、自然災害から自分たちの暮らしを守るための街づくりを、実際に見て学んで欲しいですね」と語ってくれました。
苦境を乗り越える強い気持ちとともに、一日一日を。
また、「震災時の宮古市民はどうだったか」と中学生が聞くと、「行政の助けだけに頼らず、住民の方々が泥出しや片付けなど、自分たちでできることから行動してくれたことが嬉しかったです。魚市場が思ったより早く再開していたのを知った時も驚きましたね。最高に頼もしい市民がいると、誇りに思いました。中学生の皆さんも、大きな災害に遭ってしまった時は、小さな子どものお守りをすることでも何でもいい、誰かの役に立つことを実践してください」とアドバイスを送りました。
インタビュー取材を終えて、山本市長に促されてベランダに出ると、目の前に宮古湾へ注ぐ閉伊川の穏やかな流れが、朝日に照らされてキラキラと瞬いていました。そこで、震災直後の写真を中学生たちに示し、「今はこんな静かな河川なんですが、震災当日は真っ黒い波が堤防を乗り越え、市庁舎に浸水してきたんですよ」と話します。にわかには信じがたい光景でしたが、津波の禍々しい脅威を知ることになりました。
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岩手日報の震災写真集を見ながら、津波の様子を語る市長。実際にこの場から、津波が押し寄せるようすが撮影された