© Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
津波の被害を物語る、たろう観光ホテル。
岩手県の沿岸部のほぼ中央にあり、本州最東端の地「魹ヶ崎(とどがさき)」を有する宮古市。2013年5月に三陸復興国立公園として指定された「浄土ヶ浜(じょうどがはま)」に代表されるリアス式海岸特有の海の景勝地や、高山植物の宝庫である早池峰(はやちね)国定公園と、美しく雄大な自然に恵まれ、三陸沖で獲れる豊富な海の幸が街の経済を潤してきました。特に沿岸部は、夏は涼しく冬は積雪が少ない気候から、東北地方においては比較的住みやすい環境であるため、漁業と観光が盛んな港町として栄えた歴史があります。しかし、岩手県の県庁所在地である盛岡市から北上山地を隔てて遠く離れ、交通の便も決して良好とはいえないため、近年では人口の減少と経済の減退、住民の高齢化などが大きな課題となっていました。
東日本大震災では津波が深刻なダメージを与え、死亡者420名、行方不明者94名、住宅全壊が5,968棟という被害をもたらしました。ライフラインは寸断され、宮古市庁舎も浸水。沿岸を走る道路にはがれきが堆積し、街は壊滅状態となってしまいました。また、田老町(現在の田老地区)では、これまでの歴史を踏まえ、“田老万里の長城”とうたわれる日本最大規模の防潮堤を造り、2003年には「津波防災の町」を宣言するなど、万全の備えをしていたはずでしたが、想定を超える波がこの地区を襲い、大きな被害を出してしまいました。
住民の生活路線としての役割を果たし、近年では観光客誘致にも一役買っていた三陸鉄道も、海沿いに敷かれた線路や列車が破壊されました。被害の大きさから再開は絶望視されていましたが、住民や鉄道ファンの後押しで奮起。迅速ながれき撤去やレール敷設を行い、段階的に運行をスタート。2014年4月に、北リアス線・南リアス線ともに全線再開をする予定になっています。
住民の足である三陸鉄道も始動し、日常の平穏を取り戻しつつある宮古市は、新たな街づくりに着手すべき局面を迎えています。今回の大津波の教訓から、高台移転事業やさらなる堅固な防潮堤建造などが実施される予定です。鉄道や道路、防波堤などのインフラ整備が進んで行く中で、日々を安心して暮らすための模索が続いています。
宮古市田老地区生まれ。地元で歯科医師として働き、歯科医院を開業。宮古市教員委員会委員長を務めた後、2009年7月の選挙で宮古市長に就任。2013年6月に再選を果たし、現在2期目を迎えています。津波で自宅と歯科医院を流されながらも、市庁舎で住民避難を陣頭指揮。現在は、早期の復興を目指し尽力しています。市長が、復興計画で重点的に取り組むべき方向として定めているのは、「すまいと暮らしの再建」「産業・経済復興」「安全な地域づくり」の3つ。平成26年度からは、復興計画で位置づける“再生期”に入ることから、 3つの柱の各施策に基づく「復興に向けた取り組み」を加速させていくと宣言しています。
宮古駅~久慈駅間をつなぐ北リアス線、盛駅~釜石駅間の南リアス線を運営する第三セクター方式の鉄道会社「三陸鉄道」。設立は1981年、北リアス線・南リアス線の開業は1984年で、地元住民の生活路線として長く親しまれてきました。近年、自動車の普及と人口減少により、利用者の数が減少。開業から10年間は黒字経営でしたが、赤字に転じて苦境に立たされてしまいます。そこで2003年から経営を改善し、観光事業を拡大。イベント列車などの運行で人気を博してきたところ、未曾有の大震災が襲いました。望月社長は、乗客第一をモットーに路線の復旧に努め、2014年4月の全線再開に向けて奮闘中です。
三陸鉄道株式会社HP
http://www.sanrikutetsudou.com
宮古市田老地区にあり、三陸観光に訪れるたくさんの観光客を迎え入れた「たろう観光ホテル」。津波で大きく破壊された6階建の立派な建物は、震災の記憶を後世に伝える“震災遺構”として保存される予定です。そして、同時に「三陸ジオパーク」の構成遺産にも認定されています。田老地区では宮古観光協会の主催で、たろう観光ホテルと防潮堤を見学する防災教育「学ぶ防災」プログラムを実施。被害のすさまじさをホテルで体感した後、“万里の長城”と呼ばれた海抜10m、長さ2,600mものX型巨大防潮堤を訪れ、今後の防災の取り組みや新しい街づくりの展望を聞くことができます。
宮古観光協会HP
http://www.kankou385.jp