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会津が直面している『いま』とは
様々な支援で、船が戻ってきた港

様々な支援で、船が戻ってきた港

宮城県の北東部に位置し、東は太平洋が広がり、三方を標高300〜500mの山々に囲まれている海山一体の自然豊かな本吉郡南三陸町。平成17年に、志津川町と歌津町の2町が合併して現在に至ります。国定公園・南三陸金華山国定公園に含まれる沿岸部は、複雑に入り組んだ地形が特徴のリアス式海岸ならではのダイナミックな景観を見せてくれます。

旧本吉町エリアには、古くから山岳信仰の霊山として地元住民の崇拝を集めてきた「田束山(たつかねさん)」があり、春には町花となっているツツジが5万本を超える数で咲き誇ります。

南三陸のキャラクター「オクトパス君」と招き猫。

南三陸のキャラクター「オクトパス君」と招き猫。

また、海岸部は内陸より比較的に温暖で、温かい気候を好むタブノキが自生。町木にもなっているこの木は、湾内に浮かぶ椿島に群生し、その北限の地として国の天然記念物になっています。豊かな漁場を持つため、水産業が盛んです。志津川湾で水揚げされるマダコは町のシンボルとなっており、可愛いキャラクターグッズも生まれています。

地形的な特性から、古より津波の被害を何度も受け、特に1960年のチリ地震津波の教訓によって、防波堤や防潮堤、堅固な水門が造られました。それでも東日本大震災による津波は予測をはるかに超え、大惨事を生み出してしまいました。

建物への被害は半壊以上が約62%と甚大。死者は618人、行方不明者が221人と多くの犠牲者を数えます。役場に隣接して建っていた3階建ての防災対策庁舎は、骨組みだけを残して破壊。防災無線放送で繰り返し住民に避難を呼びかけ続けた危機管理課の女性職員も、この場所で亡くなりました。震災遺構として保存すべきかの議論が続いています。

町の中心部は建物がほぼ皆無の状態で、いまだ荒涼とさびしい風景のままです。街並みの完全復興にはまだまだ長い時間が必要ですが、仮設商店街「南三陸さんさん商店街」を中心に買い物客や観光客の数を徐々に増やしています。沿岸部でも、漁業を再開する人たちが数多く現れ、震災前に盛んだったサケの養殖も行われるようになりました。また、南三陸ブランドの商品開発や水産加工物の販売、震災の記憶をたどる語り部バスツアーなども行い、さまざまな取り組みによって復興を目指しています。

海の恩恵を守る 漁師たちの意気込み 宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉出張所 支所長代理 阿部 富士夫さん(左端) ホタテ部会長 佐々木 和志さん(左から二番目) カキ部会長 後藤 清広さん(左から三番目) ワカメ部会長 須藤 鉄夫さん(右端)
海の恩恵を守る 漁師たちの意気込み 宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉出張所 支所長代理 阿部 富士夫さん(左端) ホタテ部会長 佐々木 和志さん(左から二番目) カキ部会長 後藤 清広さん(左から三番目) ワカメ部会長 須藤 鉄夫さん(右端)

山々を背に、小さな浜が連続する戸倉地区。津波によって事務所と漁師の家屋が流され、大切な漁船も9割失われてしまいました。それでも南三陸森林組合の会議室を借りて再開し、2012年3月にはプレハブ事務所を新設しています。さらに、国の財政補助制度である「がんばる養殖復興支援事業」を活用し、ホタテ・カキ・ワカメ・ギンザケの各部会を結成して養殖事業を再スタート。数量は少ないながらも出荷ができるまでになりました。また、2013年4月に、宮城県の漁協では初となる直販店「タブの木 漁協直販店」をオープン。漁業や震災について学ぶ体験学習室も隣接し、志津川湾の漁業の魅力と現況を伝えています。

南三陸に活気を呼ぶ人々の交流を目指し 株式会社ヤマウチ 代表取締役社長 山内 正文さん(右) 南三陸町産業振興課宮川 舞さん(左)
南三陸に活気を呼ぶ人々の交流を目指し 株式会社ヤマウチ 代表取締役社長 山内 正文さん(右) 南三陸町産業振興課宮川 舞さん(左)

南三陸町志津川地区の復興仮設商店街・南三陸さんさん商店街。そのなかで「山内鮮魚店」を営む山内正文社長は、町と地元企業、地元住民や町外からの応援者、ボランティアなどによって開催される物産イベント「福興市」の実行委員長を務めており、地元商業の活性化を図ることで、南三陸町の復興を推し進めようと精力的に活動しています。南三陸町産業振興課の宮川 舞さんは、南三陸さんさん商店街を拠点に、南三陸ブランドの商品開発や水産加工物販売のバックアップに尽力。町の復興には観光の力が不可欠だと考え、「復興ツーリズム」としてのさまざまな企画を考案し、実践しています。

大事なサケがまた志津川に戻ってくるように 南三陸町産業振興課 及川 浩人さん
大事なサケがまた志津川に戻ってくるように 南三陸町産業振興課 及川 浩人さん

震災以前は、南三陸町における水揚高の5〜6割を占めていたというサケ漁。ゆえに、サケの孵化・放流は町の水産業を支える大事な事業でした。町内にあった3ヵ所の孵化場はすべて津波の被害を受けてしまい、設備の損壊やヘドロの流入などによって大きな打撃を受けました。南三陸町産業振興課の職員であり、志津川淡水漁業協同組合の事務局員も兼ねる及川浩人さんは、サケの放流が復興の要になることを確信して設備の復旧に努め、十分な数の放流ができるよう日々、簗場(やなば)の上で奮闘しています。

震災を糧に、より品質の高い生産の取り組みへ。