陸前高田市の夏の風物詩として、毎年8月7日に行われてきた恒例行事「うごく七夕」。その名の通り、七夕飾りできらびやかに仕立てられた山車が太鼓やお囃子とともに、市街地を練り歩きます。約2万枚の和紙を色とりどり染めて細い竹の棒に付け、風になびくとシダレザクラのように揺れる「アザフ」が特徴です。
その起源は900年前ともいわれ、陸前高田市高田町と米崎町の12祭組がこの伝統ある夏祭りを支えてきました。しかし、震災による津波で高田町と米崎町は甚大な被害を受けて壊滅状態に。それでも、奇跡的に2祭組の山車を発見し、早くも震災直後の2011年に祭りを開催。翌年には、12祭組が勢揃いするまでに復活を遂げました。今年もさらなる盛り上がりを期待されながら、犠牲者の慰霊と復興への思いも込めて行われる予定です。
最後に訪れた取材先は、陸前高田市を代表する夏祭り「うごく七夕」を支える12祭組の一つ、高田町の森前組です。当日、新しい山車を制作している貴重な現場にも立ち会うことができ、その5mに及ぶ大きさを目の当たりにして、みな圧倒されていました。そして、この森前組有志会代表として奔走しているのが、若きリーダー佐藤徳政さんです。ロザン宇治原さんが、「これは、大阪の岸和田だんじり祭みたいなもんですかね?」と聞くと、「この山車の中で若者たちが太鼓やお囃子を演奏しながら運行するので、とても華やかな祭りなんですよ」と、佐藤さんは誇らしげにニッコリ。今年の開催が待ち遠しい様子でした。
復興に向けて。新しい山車を制作。 -中学生記者 横井さん撮影
佐藤さんの熱い言葉を書きとめる中学生記者
震災前は、きらびやかに飾り付けた12祭組の山車がお互い競うように運行し、祭り当日はいつも、街中が華やかで熱気に満ちあふれていました。それが、津波によって多くの住民が家を失い、300名以上いた森前組のメンバーも散り散りに離散。佐藤さん自身も、当時19歳だった妹さんを亡くし、悲嘆に暮れていました。「妹は、森前組の山車に乗って笛を吹くのを楽しみにしていました。妹だけでなく、この地域に住む人たちが大切にしてきたこの祭りを、このまま終わらせてしまうのが本当に許せなかったんです」と語るその目は、強い決意を感じます。新しく山車を造るためには1台当たり約500万円が必要です。しかも、震災直後はそれぞれの生活基盤がままならない状態。それでも、熱心に一戸ごとに声がけをし、呼びかけを行ったそうです。「住民の理解はすぐに得られましたか」という中学生の問いに、「やはり最初は、祭りの開催に反対する人がほとんどでした。とにかく前に進むための勢いが肝心だと思っていたんですが、少しずつでも理解の輪を広げることが大切だと思うようになり、時間をかけて丁寧に個別訪問を行いました」と佐藤さん。今では反対する声は無くなり、寝る間も惜しんで準備に力を傾ける毎日に。「お祭りが終わったら、気が抜けて体調を崩しちゃうのでは?」とロザン菅さんが心配すると、「大丈夫ですよ」と胸を張って返答していました。
長年、当たり前のように行われてきた「うごく七夕」。佐藤さん自身も、「子どもの頃は、飾り付けの手伝いが終わった後にもらえるアイスクリームが目当てだったんですよ」と笑います。「今、このお祭りにどんな思いを抱いていますか」という質問には、「バラバラになってしまった地域の人たちを、まるで磁石のように引き寄せ、また人と人との結びつきを生み出しました。そして、ゼロから何かを生み出したい、元気になりたいと願う“象徴”のようなものにもなりましたね」と教えてくれました。それまで、ライバル関係にあった12の祭組。限られた台数の山車に交代で乗り合うことで、祭組同士の関わり方にも変化が生まれたそうです。「それでも、山車はその地域の誇り。いずれ、すべての山車が出揃い、以前のように競い合いながら活気ある祭りにしたいですね」と、展望も語ってくれました。
うごく七夕を飾っているのは、たくさんの短冊。佐藤さんは、ロザンのお二人と中学生たちに黄色の短冊を差し出し、「通常、七夕の短冊は願い事を書きますが、この短冊には、みなさんの感謝の気持ちを綴ってください。それを、この新しい山車の飾り付けに使いたいと思います」と申し出てくれました。作業場近くの東屋に集合し、それぞれの思いを込めた短冊を作成。そして、佐藤さんに託しました。今年は、中学生たちの思いも乗せて、前森組の山車がうごく七夕を盛り上げてくれるでしょう。
短冊に思いを込める。