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浪江町役場 二本松事務所 いつか帰還する日を願いながら、心をつなぐ情報の輪を。
最後の取材地は、浪江町役場二本松事務所
最後の取材地は、浪江町役場二本松事務所

最後の取材地は、浪江町役場二本松事務所。二本松市平石高田第二工業団地にあり、周囲は大きな工場に囲まれています。3月14日に浪江町全域が避難指定地域となり、二本松市役所東和支所に仮役場を設置。さらに、福島県男女共生センターへの移転を経て、2012年10月に現在の場所となりました。受付ロビーには、児童81名と教職員13名が高台に避難して津波による死者を出さなかった請戸小学校の紹介パネルや、遠く離れた場所で町民が手がけている浪江町の名産品のサンプル展示、全国から寄せられた寄せ書きの旗などが飾られています。そして、この場所の放射線量を示す電子パネルと、放射線の安全基準値に関する説明書きが設置されており、町が抱える問題の重みを感じさせます。

庁舎2階の会議室では、復興推進課の清水さんと小島さんが出迎えてくれました

庁舎2階の会議室では、復興推進課の清水さんと小島さんが出迎えてくれました。まず、清水さんが映像とともに浪江町の概要を説明。自然豊かで伝統文化息づく故郷が失われ、全国各地に町民が離散したことにふれ、「浪江の惨状を広く伝えることが責務だと考えます」と語調を強めます。震災直後は、つしま活性化センターに避難しましたが、「まさに籠城戦だった」と清水さんが表現する通り、役場職員は避難者の対応で手一杯。福島第一原発の事故について、この時は調べる余裕が無かったことを現在は悔やんでいるそうです。そして現在、町民が町にいない状態が続いています。

小島さんは、そんな状況にありながらも、遠く離れた町民とつながるための取り組みが現在推進中であることを教えてくれました。ITに不慣れな人でも手軽に操作ができるタブレット端末を全世帯に配布することを計画。一般社団法人CODE for JAPANと連携し、浪江町の情報を発信するアプリケーションを開発し、その試作品の体験会を2014年6月に開催しました。町民を含めたくさんの参加者が集まり、イベントは大盛況。アプリ開発イベント「ハッカソン」では420名もの参加者が、770のアイデアを生み出したそうです。現在、福島民報社など地元のメディアとタイアップして毎日の発行を予定しているオリジナルアプリ『なみえ新聞』の実働に向けて準備中(1月現在)。その他にも、新聞投稿アプリや基本操作習得アプリ、放射線量情報アプリなど、多彩なアプリの開発が進められています。小島さんは、「平成29年3月に町への帰還を予定していますが、町民の間でも賛否で揺れています。そんな町民の方々へ細やかな情報発信を行い、皆さんの心をつないでいければと思っています」と展望を語りました。

小島さんは、そんな状況にありながらも、遠く離れた町民とつながるための取り組みが現在推進中であることを教えてくれました

終わりの見えない避難生活を強いられている町民を訪ねて。

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