少しずつ伝わりにくくなってきた被災地の情報を「写真」と「文字」の力で幅広く届け、風化と風評と闘う「写真で綴る、被災地の『いま』を伝えるプロジェクト」。1月の福島県いわき市での取材を終え、2013年度の取材が終了となった。
岩手県宮古市にて中学生記者と
全国の新聞社、共同通信社の協力のもと、日本の未来を担う中学生の視点から、被災地の現状を日本全国に発信してきた。その活動のナビゲーターとして、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと共に1年間かけて福島、宮城、岩手の3県を訪問したロザン菅広文さんと宇治原史規さん。2人に活動を振り返ってもらった。
精力的に各地を回って、ナビゲーターを務めた
当初、ナビゲーターを務めるかどうか迷ったという。もともと、東北にゆかりがあったわけではなく、芸人の自分たちが行ってどうなる、という思いもあった。引き受けるか迷った末、「地元の方々と中学生の橋渡しになれるのであれば」と参加を決めた。緊張して訪れるであろう中学生記者たちを、芸人としての自分たちの力で、少し笑わせてリラックスさせることができるかも、と考えたからだ。 初めて訪れた被災地の現状に衝撃を受けた。「もっと復興が進んでいると思っていた」、「街を歩く人が少ないと感じた」。東北の「いま」を伝えなければと決意した瞬間だった。テレビの仕事では、除染など被災地の問題が取り上げられれば、「見てきたこと」が力になってコメントにも熱が入るという宇治原さん。「実際に行くことで、伝えたいと思うパワーも違う」。芸人仲間に被災地の様子を語ることもあるという。
中学生記者たちの、真剣なまなざしが印象的だった。「中学生だから聞くことのできる、核心を突く質問が多かった。現地の方々も、彼らに応えようと真剣だった」と振り返る。中学生記者たちも現地の方々の思いを受け止め、自分たちの地元で伝えようと必死にペンを走らせた。一方で、現地の中学生は、被災によって何かを乗り越えようとしている半面、「僕らの中学生の時の夢ってプロ野球選手!みたいな無邪気なもんだった。人のためになる、人を助けるロボット作るって、偉いなあと思うけど、震災で強制的に大人になってしまったとも感じる」と菅さんは気遣った。
取材を通じ、自らもカメラを構えた。「写真に収める時、やはり迷いがある。そこには震災前、どんな生活があったのか。記録して残し、撮る行為自体が考える第一歩になる。目に焼き付ける行為と感じた」。写真で伝えることの意味を考えながら、シャッターを切る。菅さんは「僕らが行って、どうこうって簡単に思えないけど、ちょっとでも復興の足しになるのであればうれしい」。
「被災地に行くことで批判もある。でも、関わり方はいろいろあるが何もしていないより、何かしている方が絶対にいいと思う。今はまだ、また同じ場所に行ったら、ここ変わりましたね!って話になると思う。でも、その話すらしなくなる、というのが、本当の復興と言えるのかもしれない」と宇治原さん。迷いながらも真剣に。被災地の「いま」を伝えていくつもりだ。
稲刈りを体験する中学生たちとお笑いコンビ「ロザン」と安田菜津紀さん 福島県会津美里町にて
ロザンの2人と一緒に中学生記者と被災地を歩いたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんに取材の様子を振り返ってもらった。
プロジェクトが始まる前は「1年間、頑張れるか、中途半端にならないか」と心配でした。でも始まってみると、みんな優秀!限られた時間の中で、集中して取材に臨んでくれました。
被災地に行く中学生は、最初は緊張しています。だから現地に行く前夜は必ずミーティングをしました。分からない言葉を説明し、心配りが必要な場所ならそのことを教えます。みんなのみ込みが早いので、翌日の取材では大人もビックリするような鋭い質問をしていました。現地の方々もとても喜んでくれました。
中学生たちは地元に帰ってから、自分の体験を文化祭や報告会で発表してくれたようです。被災地で得たものを自分の言葉でつないでいく、気持ちや心を点じゃなくて線にしてつないでいく、そんな「連鎖」こそ、このプロジェクトが目指していたものではないでしょうか。
私は1年を通して「伝える力」というものを、自分の中で信じられるようになりました。私自身「人に伝える」という仕事をしていますが、これからも発信していかなければいけないということを、中学生たちに気付かされたと思います。
© Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
© Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
震災より3年が経ちました。当プロジェクトは引き続き、被災地の『いま』をお伝えしていきます。3月20日にはスペシャルムービー公開予定です。お楽しみに!