最後に訪れたのは、三陸鉄道盛(さかり)駅。ここから貸切の「震災学習列車」に乗車しました。ガイド役は、南リアス線運行部長の吉田哲さん。中学生記者はみんな三陸鉄道の車両が初体験だったので、期待感いっぱいで発車しました。
住民の生活路線であり、観光客誘致にも一役買っていた三陸鉄道は海沿いに敷かれた線路や列車が破壊され、休業を余儀なくされました。それでも、想定より早く路線が復旧。南リアス線は2013年4月に盛駅〜吉浜駅間で運行を再開しています。その時の気持ちを中学生記者が吉田さんに聞くと、「胸が詰まる思いで、涙があふれました。でも、全線復旧の時は、うれしくはあったのですが、ここが復興を進めるための新たなスタート地点なのだと、気が引き締まる思いでした」と答えてくれました。
陸前赤崎駅で下車し、ホームで震災当時の様子を語る吉田さん。津波が住宅地にまで迫り、周辺の地形を大きく変えたことを、以前の写真と比較しながら説明してくれました。
綾里(りょうり)駅付近では、明治三陸大津波が38.2mもの高さで襲ったことに言及。車窓から伝承碑と水位を示した電信柱の表示板を確認しました。恋し浜駅でも下車見学。安田さんから、恋の願掛けができる駅だと聞いて、女の子たちはちょっと興奮気味に。小石浜地区で販売しているホタテブランド“恋し浜”にちなんだホタテの絵馬がたくさん吊されている駅待合室では、熱心に絵馬の願い事を見ていました。
菅さんは、ホームの観光案内看板に据え付けられた「幸せの鐘」を中学生記者と一緒に鳴らしてご満悦。「ホタテの絵馬は、恋に関する願い事だけですか」と質問すると、吉田さんは「震災以後は、復興への願いを書く人が増えたようですよ」と教えてくれました。
震災当時、南リアス線を走行していた車両は、鍬台(くわだい)トンネル内で緊急停止しました。実際に、どの地点で列車が止まったのかを再現すると、1.4kmとちょうどトンネルの中程。ディーゼル車だったので車内灯は消えませんでしたが、ケーブルが断線したため連絡がとれず、運転士と乗客2人が取り残されてしまいました。本来であれば運転士は車両から離れてはいけないのですが、緊急時のため下車。震災があったことは、民宿の方から聞いて初めて知ったそうです。もし、列車が止まった場所がトンネル内じゃなかったら、と問うと、「ほとんどの場所が波をかぶっているので、助からなかったでしょうね。トンネル内で停車できたことは奇跡的なことだと思います」と吉田さんは振り返ります。
三陸駅では、地元特産のころ柿のカーテンがお出迎え。
この駅からすぐの場所に、朝、森さんのガイドで立ち寄った越喜来地区があることを思い出しました。まだまだ復興工事の最中ですが、すでに三陸鉄道の列車が元気に運行している事実が、きっとこの地の再興を後押ししてくれるはずだと確信し、一行は後にしました。
終点の釜石駅に近づき、「若い皆さんには、これからいろいろな経験をして、たくさんの知識を身に付け、いざという時に役立てて欲しいと思っています。この震災学習列車で学んだことも、将来きっと皆さん自身を助ける力になると信じています」と、吉田さんは中学生記者たちに力強いエールを送ってくれました。