©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
海の市を後にした一港は、本吉地区の大谷海岸方面へ。バスの車窓から美しい大海原の眺めと心地よい潮風を満喫することができ、中学生記者たちは自然と心が弾みます。天ヶ沢地内の小さな漁港に到着すると、そこで気仙沼建設業青年会の方々が待っていました。
お互いの自己紹介を済ませた後、青年会の会長、小川涼さんから、震災直後から現在まで続いている復旧・復興工事に関する説明を受けました。手渡された資料をめくると、最初に目に飛び込んできたのは震災翌日、たくさんの漂流物が堆積した無残な街並。「想像を絶する景色で、頭で理解するのに難しい状況でした」と小川さん。鹿折地区、内の脇地区で起きた大規模火災、小川さんの自宅がある魚町と唐桑町などの被害を写真資料で目の当たりにした中学生記者たちは、声無く見つめるばかりでした。
2011年3月15日、建築資材がまったく無い状況で、地元建設業の作業員は道路の復旧工事に着手。土などを現地調達して、自動車一台でも通れるよう道の整備に努めました。「土を盛っただけの応急処置的なもので、道路工事に携わる者としてこんなに情けない気持ちになったのは初めてでした」と振り返ります。がれきの撤去工事、遺体の捜索などを行って1ヵ月後、ようやくダンプや重機が使えるようになり、工事がスピードアップしました。特に過酷だったのは、電力がストップした冷凍庫の中にあった水産物の撤去。凄まじい腐臭に悩まされ、その臭いは1年以上も続いたそうです。
現在、災害復旧工事が進む日門漁港エリアについても言及。3m地盤沈下した土地に盛り土し、元の高さにする工事を手がけているそうです。取材場所から対岸で行われている工事の様子を一望することができ、工事の進捗状況が分かります。また、住宅地などへ盛り土によるかさ上げを行う復興工事についてもお話いただき、思うように進んでいないことを課題に挙げていました。工事に従事していて印象深かった出来事を聞くと、「1日で10mも進まないような道路工事をしていたところに、ある住民の方がいつ完成するのか尋ねてきました。3日後くらいかなと答えたのですが、その方は毎日のように工事の様子を確認しに通っていました。それを見て、道路はその土地に住む人たちにとって、大事な生命線なんだなと感じ、自分たちが関わっている仕事の責任の重さを痛感しました」と小川さんは話してくれました。