避難者たちの憩いの場「おだがいさまセンター」
初秋の晴天に期待を高めながら、中学生記者たちを乗せたバスが郡山市の富田町若宮前応急仮設住宅に到着。仮設住宅を初めて目の当たりにした中学生たちがほとんどだったので、みんな物珍しそうに辺りを見回していました。団地の中ほどにある集会所に入り、ロザンのお二人と合流。ここでは、富岡町社会福祉協議会の青木淑子さんと、語り部の一人である遠藤友子さんが歓迎してくれました。
まずは、青木さんからスライドと資料とともに、富岡町の説明がありました。スクリーンに映し出されたのは、町の名物である「夜ノ森の桜並木」。この緑と花に恵まれた平和な町が、東日本大震災、そして、福島第一原子力発電所の事故によって大きく運命が変わってしまいました。震災発生直後、長い車の列を作って川内村を目指しましたが、一転して郡山市のビッグパレット(県産業交流館)に避難させられた富岡町の人々。「この時は、まさか町に帰ることができなくなるなんて、思ってもみませんでした」と、青木さんは険しい顔を見せます。ホールに集められたたくさんの住民の方々は、不安や不満、やり場のない怒りを募らせていき、青木さんは「このままでは、人が死んでしまう」と危機感を感じたそうです。
この混乱から避難者たちの命を守るため、避難所内に立ち上げられたのが「ビッグパレット内生活支援ボランティアセンター」、通称「おだがいさまセンター」です。“おだがいさま”とは“お互い様”の福島訛りで、親しみを込めて名付けられました。ここを拠点に支援物資の整理や様々な生活支援を行いましたが、特筆すべきことは女性の着替え、乳児への授乳といった女性特有の悩みに応える「女性専用スペース」の設置です。「避難所にはプライベートな場所が皆無だったので、女性のための場所を確保することは必須だと確信しました」と語る青木さん。そうして避難所が落ち着いてきた頃、喫茶コーナーができたり敷地内の花植えなどを行われたりして、避難者同士の密なコミュニケーションが育まれてきました。「他人の事を思いやれる余裕ができたことで、避難所内では自然と自治が生まれました」と振り返ります。
また、ビッグパレットから現在の仮設住宅団地まで、住民に親しまれ続けている「おだがいさまFM(富岡臨時災害FM局)」についても紹介。「支援物資の中に携帯ラジオがあったので、地元のFM局などから機材の提供を受けて開局しました。生放送の番組が始まると、ラジオを持っているのにわざわざ放送ブースに人が集まるんですよ」と笑います。現在も、放送圏内であれば室内のラジオやカーステレオで聴くことが可能。お目当ての番組が始まると「おだがいさまセンター」に集まり、生放送の様子を見ながら好きな曲のリクエストやメッセージを送ったりして楽しむ住民の方もいるそうです。また、富岡町民限定で支給されている専用タブレットで、過去の放送を聴くこともでき、福島を離れて暮らす富岡町の方々の心の支えにもなっています。
集会場で話を聞きながら学ぶ。FMスタジオも見学。
©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
富岡町社会福祉協議会が行っている支援事業の一つ「語り部」事業に参加している遠藤さんにも語っていただきました。富岡町で繁殖牛の飼育をしていた遠藤さん。震災直後は、朝食の片付けもできず買い物バッグ一つで避難しました。クルマで川内村に向かい、原発事故が深刻な事態と分かった後、ビッグパレットへ。町に残してきた牛を心配しながらも、その時は「すぐに戻れる」と信じて疑わなかったそうです。それを裏切るように、放射性物質の影響で町内への立ち入りが禁止に。川内村から移る前、自宅に立ち寄ってたっぷりと飼料を与えていきましたが、4月に戻ると2頭の母牛は餓死していました。かろうじて子牛が生きていたのを見た時は「生きてくれてありがとう」と涙した遠藤さん。しかし、結果的に全頭殺処分となってしまいました。「それまで、原子力発電所に事故なんて起きるとは思ってもみませんでしたし、これほどまでに大きな被害を生むとは想像できませんでした。人間だけでなく動物に至るまで多くの命が失われたことに、とても悔しさを感じています」と、悲痛な思いを吐露しました。
後に、自宅へ戻る機会がありましたが、150年以上も経つ古民家ゆえに荒れ放題となった姿を見て、ますます心を痛める遠藤さん。それでも、「仮設住宅暮らしで良いことは、自分の時間がたくさんあること。以前は、ずっと昼夜無く毎日牛の世話をしなければいけなかったのですが、今は静かに本を読んだり友達とゆっくりお茶を飲んだりと、好きな事をいろいろとできるのがうれしいですね」と、気丈な笑顔で話してくれました。
一行は集会所を出て、遠藤さんの住まいを訪ねました。また、「おだがいさまセンター」内にあるFMスタジオも見学。青木さんの配慮で、中学生記者の高橋くんと中村さんが生放送に出演させていただき、元気なコメントを富岡町のリスナーに届けることができました。