次に向かったのは、釜石市の寺院「仙寿院」。長い石段を上ると立派な本堂があり、住職の芝崎恵應さんが一行を迎えてくれました。住職は本堂の中に招き入れ、震災当時の話を聞かせてくれました。住職は、ノンフィクション作家・石井光太氏のルポルタージュ『遺体:震災、津波の果てに』で取材を受け、震災で犠牲になった方の遺骨を本堂に安置し、毎日欠かさず手を合わせているというエピソードを紹介されています。「本堂に安置されているお骨には、名前がありません。なかには体の一部しかないものもあります。身元不明のため都合上、区別するための番号が振られていますが、誰とも知られず亡くなって、数字でしか呼ばれなくなるなんて不憫でなりませんね」と顔を曇らせていました。
震災当日、命からがら避難してくる住民を地元消防団とともに寺へ収容しながら、その惨状をつぶさに記録していた住職。その貴重な映像を中学生記者たちに見せてくれました。街を飲み込む濁流と木の葉のように流されていく自動車、みるみるうちに水に浸かっていく家屋、言葉にならない幾つもの悲鳴。中学生記者達は、そんな迫真の情景に顔を強ばらせながら、食い入るようにスクリーンを見つめていました。陸の孤島になった仙寿院で、口々に不安を漏らす住民、光が全くない夜の暗闇に怯える避難者。見るものすべてが生々しく伝わってきて、衝撃的なものばかりでした。続けて、『両石町平成大海嘯(だいかいしょう)』と題された映像も鑑賞。港を見下ろす高台から撮られたもので、漁師さんの「悪魔の波が、またやってきたぞ!」という叫び声が印象的でした。
「ショックだったでしょ?」と苦笑いする住職。「釜石市には、世界一と謳われた防波堤があったのに、こんなひどい津波被害を受けました。私は、助けられなかった命を幾度も目にしてきて、これ以上津波で死ぬ人を見たくないと思いました。津波を完全に防ぐ堤防や予知はできません。だからこそ、いち早く高台に避難することが大事なんです」。そこで、釜石応援団 ARAMAGI Heartの下村達志さんが発案した『韋駄天競走』に賛同。お寺が主催し、今年2月の節分行事として、仙寿院本堂まで全速力で坂を駆け上がる競走を開催しました。ゴールまで約286メートルあり、大人の足で1分程度。多くの住民の理解を得て、盛大な催しとなりました。「震災の遺産を、何かの形で残せないかと考えたのがきっかけです。石に刻んだり本に書いたりするよりも、楽しい催しとして毎年行うようになれば、たとえいつか走る意味が分からなくなっても、後世の人はきっと、祭りの意義を再発見してくれるはずだと確信しているんです」と下村さん。実際、この模様は報道番組などで取り上げられ、大いに反響を集めました。「説明しているだけじゃつまらないでしょ?みんなで実際に体験してみましょう!」という下村さんの呼びかけで、中学生記者たちと保護者の方々も、韋駄天競走に挑戦することになりました。
坂を下りながら、「意外と距離が長いなぁ」ともらす引率の先生。スタートラインに到着し、合図とともにスタートダッシュすると、やはり若さみなぎる中学生が先頭を切ります。そのまま佐々木君が逃げ切り一着。次々とやってくる走者をねぎらいながら、下村さんは「一番になることが重要なんじゃありません。いざという時に全力で走れるかが大事なんです」と話してくれました。爽やかな汗をかいた中学生記者たち。「この韋駄天競走を、地元で真似してもいいですか?」と問うと、「ぜひ多くの人を巻き込んで広めてください」と、笑顔で下村さんは答えていました。
3.11.街は津波に覆われた