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南相馬市小高区 南相馬市復興企画部 部長 阿部 貞康さん 今もなお、震災の爪痕が深く残る小高区を視察。

バスに乗り込んだ中学生たちは、南相馬市復興企画部の阿部貞康さんの案内で、甚大な被害があった小高区を巡りました。南相馬市の南部にあたる小高区は、臨海エリアの津波被害に加え、福島第一原子力発電所の事故のため半径20km圏内の住民に避難指示が出され、しばらくの間、立ち入りが制限。2012年4月16日に見直しがなされ、市内ほとんどの地域に入ることができるようになりましたが、そこにあるのは、手つかずの状態で荒れ果てた被災の現場があるばかりでした。

重機がひしめく陸前高田市とは異なる風景。

重機がひしめく陸前高田市とは異なる風景。

歩みを止めてしまったままの時計

歩みを止めてしまったままの時計

車窓から見る風景はやはり、崩れ落ちた家屋と荒涼とした田畑。その異様な風景を目の 当たりにした中学生たちの顔が強ばります。途中、幾度か防潮堤などの工事に出会いますが、整備がいきわたるまでに膨大な時間が必要であることを感じさせました。そして、地域住民の避難場所となった「浦尻公会堂」へ到着。入口には時計が掛かっていましたが、その時刻は震災直後を示して止まったまま。この公会堂を背に海岸線を望む場所で、阿部さんから震災時から住民避難、そして今に至る一連の説明を聞きました。

放置されたままの自転車に、草が生い茂る

放置されたままの自転車に、草が生い茂る -中学生記者 西村くん撮影

次に訪れたのが、JR常磐線の小高駅。現在も営業休止状態が続き、駅舎は施錠され堅く閉ざされています。駐輪場に行くと、たくさんの自転車が置かれたままの状態に。後輪の泥よけに貼られたネームプレートに同じ年頃の学生の名前を見つけ、思わずシャッターを切った中学生もいました。駅前から真っ直ぐ通る商店街も歩いてみましたが、ここにも人気がありません。「お店や旅館があるようですが、やはりまだ営業できないんですか?」と聞くと、阿部さんは「街への立ち入りはできるようになったのですが、無人の街になったままです」と、残念そうに答えました。

道の駅南相馬で小高区の見学は終了。阿部さんは最後に、「ここより南へ下れば浪江町がありますが、未だ立ち入りが制限されています。そんな場所があることを、みなさんに知っておいてほしいと思います」と語り、中学生たちはその言葉を深く受け止めました。

馬と一体になって疾走する騎手の迫力を間近で目撃。

考える力を養った子どもたちの、無限の可能性を信じて。