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福島民報社 印刷センター 大きな困難と降りかかる難題を乗り越え、届けられた「日常」。

次に向かったのは、福島民報社印刷センター。大きな建物内で毎日、約26万部の新聞を印刷、発送しています。一行を歓迎してくれたのは、印刷局長の宍戸さん。まずは、センター内の会議室で話を聞きました。

東日本大震災では、印刷機が一部損傷。それでも16ページに減らしながら、3月11日に印刷、翌朝に発行しました。それ以後は、製紙工場から印刷用紙が届かなかったりインクが不足したりと、困難が山積していました。電力は何とか確保したものの、断水が続いて水不足。発行を諦めかけていましたが、会津若松市にある酒造会社の花春酒造から、日本酒の仕込み水を分けてもらい、1日分を確保することができました。水は、速いスピードで大量の印刷を行うオフセット印刷には欠かせない大事なもの。「でも、日本酒が好きな方なら、貴重な水を何てもったいない!と思うでしょうね」と、宍戸さんは笑っていました。ライフラインが正常化するまで難題続きでしたが、一日も絶やさずに新聞を発行。販売店の人から、配達先で「新聞が自分の家に届いたことで、日常が戻ったような気がして安心した」と聞いたことを教えてもらい、仕事のやりがいを改めて感じたそうです。

福島民報を印刷している工場内も見学

 実際に、福島民報を印刷している工場内も見学。轟音とともに巨大な輪転機が動いている様子に、中学生記者たちは圧倒されていました。また、約700kgもの重さがあるロール紙を紙庫から移動し自動で給紙するシステムは、そのスケールの大きさにビックリ。

轟音とともに巨大な輪転機が動いている姿に、中学生記者たちは圧倒されていました。

宍戸さんは、実際に台車を動かして見せてくれました。印刷された新聞をある一定の部数にまとめ、ビニール袋で梱包する作業場は、そのスピードの速さにカメラのシャッターが間に合いません。中学生記者たちは、自分たちにとっても身近な新聞が刷り出される工程を目の当たりにし、この一連の作業が毎日繰り返されていることを再確認。そして、それが震災下の大きな困難にあってもたくさんの努力が支え、維持されてきた事実を知り、見学を終えて乗り込んだバスの中で感動を噛みしめました。

現場に立って情報を集め、時事を正確かつ速やかに伝える責務。

終わりの見えない避難生活を強いられている町民を訪ねて。