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ラジオ福島 現場に立って情報を集め、時事を正確かつ速やかに伝える責務。

全国から集まった10人の中学生記者たちを乗せたバスが最初に向かったのは、福島県全域をネットするAMラジオ放送局「ラジオ福島」の本社。ロビーには公開スタジオがあり、まさに生放送中でした。トーク中のアナウンサーにカメラを向けていると、ロザンのお二人も到着。この大所帯な一行を、放送本部副本部長兼編成局長の菅野さんが出迎えてくれました。「皆さんには、このスタジオで生放送番組に出演してもらいますから、自己紹介のコメントを考えておいてくださいね」という菅野さんの言葉に湧き立つ中学生記者たち。期待感を高めながら、まず社内の見学からスタートしました。

福島県全域をネットするAMラジオ放送局「ラジオ福島」の本社

福島県内にある各支社と交信する無線機、テレビ放送のニュースや気象情報を得るためのモニター、出演者の声や音楽などの切り替えや調整などを行う副調整室など、専門機器の数々を紹介され、中学生記者たちはちょっと緊張気味。発電室では、非常時の電源を供給する発電システムを見学しました。広い収録スタジオに入ると、マイクやインカム、窓越しに見える大きなミキサー卓にちょっと興奮。番組制作の現場にみな興味津々でした。

広いスペースのeスタジオには席が設けられ、ここで菅野さんの話に耳を傾けました。「ラジオって、どんなメディアだと思いますか」という問いかけに、各々ラジオを聴く状況を思い浮かべる中学生記者でしたが、テレビが主役の現代生活において、あまり馴染みが深くない様子。菅野さんは、「東日本大震災が発生してしばらく福島市内は停電が続いたんですが、その時、役に立ったのが電池で作動する携帯ラジオやカーステレオのラジオだったんです」と話します。

震災時に生放送していた番組の録音を聴かせてくれました

そして、震災時に生放送していた番組の録音を聴かせてくれました。深野健司アナウンサーを司会にグルメ情報でトークが盛り上がっている最中、大きな揺れがスタジオを襲い、出演者たちが動揺しているのが分かります。状況を把握しようと必死な深野アナはリスナーに落ち着いて行動することを呼びかけ、避難を促します。その臨場感あふれる様子に、中学生記者たちやロザンのお二人もとまどいを隠せません 。

その後、福島県庁に設置された災害対策本部に記者を置き、逐一、生放送で避難情報を発信。それと同時に、リスナーからEメールで情報も募りました。これまで寄せられたのは9,000通に及び、県内だけでなく全国各地から受信。生きた情報を発信する意義を見出したラジオ福島は、Twitterを使った同時配信やradikoによる番組配信なども行っています。また、災害時に特化したルールづくりや特別番組の制作といった取り組みも進めているそうです。菅野さんは、「ラジオ放送は、時事をリアルタイムに聴取者へ届けるメディアです」と結びました。

県の災害対策本部で取材を敢行した山地美紗子アナも、当時の話を語ってくれました。震災直後は、福島市内の道路がどこも大渋滞で、移動にかなり苦労したそうです。それでも県庁職員とともに移動しながら、病院が患者でいっぱいで受け入れが難しいといった現場の声を集め奔走しました。時間が経過すると、浜通り地方からの情報が皆無であることが判明。「いわき支社と連絡が取れて状況を聞くと、沿岸部は壊滅だと言われました。私ははじめ、その言葉の意味が理解できませんでした」と山地アナ。早朝、いわき市に向けて取材に出発。原発事故がどういう状況か分からない上、これから子どもを生む可能性の女性だからと引き留めようとする社員もいましたが、「報道に携わる者として、現場を見て伝えたいという意思が先立ちました」と、その時の心境を教えてくれました。

 昼食の休憩後、大和田新アナに取材を行いました。「福島県は、津波や建物の倒壊などで亡くなった直接死の数より、災害関連死の数が上回っている県なんです」と、数字を示しがら話します。「でもね、何人亡くなったかじゃない。数字では語れないんです」と言って取り出したのは、いわき市にある塩屋埼灯台を描いた黄色いハンカチ。

いわき市立豊間小学校の4年生だった鈴木姫花さんが、震災で亡くなる前に描いた絵があしらわれています

これは、いわき市立豊間小学校の4年生だった鈴木姫花さんが、震災で亡くなる前に描いた絵があしらわれています。日本グラフィックデザイナー協会の復興支援プロジェクト「やさしいハンカチ展」の一環として制作されたもので、その売上は災害遺児のために寄付されています。「姫花さんも生きていれば、皆さんと同じ中学生。ハンカチの制作に携わったお父さんは、今も断ち切れない思いでいっぱいなんです」と悲痛な面持ちで語ります。また、介護施設のお年寄りを高台へ避難させた後、祖母を心配して海の方へ引き返して亡くなったいわき市の高校2年生、工藤盛人さんのエピソードも紹介。「震災から時間が経ちましたが、まだまだはれない悲しみ、悔やみでいっぱいで満ちあふれています。そして、震災の被害ではなく、原発事故による絶望で自殺する人の数も増加中です。私はあえてこれを、“原発事故関連死”と呼び、多くの人に訴えかけていきたいと思います」と話してくれました。 

大和田アナと山地アナは、中学生記者たちを連れて公開スタジオへ。

大和田アナと山地アナは、中学生記者たちを連れて公開スタジオへ。みんな緊張しながら生放送の出演に挑みました。それぞれの出身地と学校名、将来の夢を紹介。大和田アナは、顔を紅潮させながらも堂々と希望を語る中学生記者たちにやさしい眼差しを向けながら、興味深く質問を投げかけます。放送終了時には、周囲から温かい拍手が。最後に、取材を終えた中学生記者たちに菅野さんは、「東日本大震災では想定外の事が多く、原発事故に関しても十分な情報が伝えられなかったという反省があります。皆さんにはこれから、正しい情報を選り分ける力を身に付けて欲しいです」という言葉を送りました。

福島県福島市・二本松市が直面している『いま』とは

大きな困難と降りかかる難題を乗り越え、届けられた「日常」。