ロザンの二人と安田菜津紀さん、5人の中学生たちを乗せたバスが向かった先は、美しい白砂青松の根浜海岸。この日は晴天に恵まれ、海で遊ぶ観光客の姿もちらほらと見かけました。波も穏やかで、ここに大津波が押し寄せたとは思えないほど。ただ、松林の中に立つ津波記憶石が、静かにその事実を伝えていました。
©Natsuki YASUDA / studio AFTERMODE
最初の取材先として訪れた「宝来館」も新しい建物で再開しており、ほっと胸をなで下ろす一行。エントランスでは、女将の岩崎昭子さんが、元気に出迎えてくれました。
最初に案内されたフロントのあるロビーには、日本地図の中にたくさんの仏様が描かれた大きなアート作品が。これは、山梨県の仏画師・安達原玄さんの指導で、東日本大震災で亡くなった方へ鎮魂のために行っている仏画ワークショップによって作成された作品。このほか、水に溶ける半紙に仏画を描き、根浜の海に流す催しもこの8月に行ったそうです。穏やかに微笑むたくさんの仏様を見て、中学生たちはこの「宝来館」に、全国各地から震災復興を支援する思いがたくさん寄せられていることを知りました。
笑顔で説明してくれる女将さん -中学生記者 鑰尼さん撮影
中学生記者 中村さん撮影
広い座敷に案内され、岩崎さんから、さまざまな映像資料とともに震災当時のお話を聞くことができました。津波によって無慈悲にも破壊尽くされた旅館の建物の映像を見て、みな絶句。「みなさんも前を通ってきましたが、根浜の海はいつも今日のように穏やかで静かなんです。だからそれまで、こんな恐ろしい津波が来るなんて考えられませんでした。あの時、黒く濁っていた海水も、今では以前と変わらず美しい色に戻っているので、私も今では信じられない気持ちです」と、岩崎さんは語ります。そして、旅館の従業員と裏山 へ避難した際の様子も臨場感あふれる語り口で説明。岩崎さんは、地域住民の避難誘導をしていたため水にのまれ、まさに死の瀬戸際にありました。「みんなが裏山に避難できたと安心した瞬間、強い水流にのまれてしまいました。あの日は今日のように青空で太陽もキラキラ輝いていて、それを水の中で眺めながら、まあ、人が死ぬ時なんてこんなものなのかなと思い、不思議に怖くありませんでした」と穏やかに話す岩崎さん。
この想像を絶する体験に、ロザンのお二人もあっけにとられた様子。かろうじて救助され、高台から望んだ風景は、どこまでも黒く渦巻く濁流だけでした。建物は2階まで浸水し、再開は不可能だと諦めていたそうですが、津波が引いてから付近の住民が集まり、約2週間、避難所として活用されることに。めちゃくちゃに破壊されながらも「宝来館」には人が集い、生かされた命の尊さにも改めて気づかされたという岩崎さん。自分と旅館を生き永らえさせてもらった恩返しがしたいと、旅館の再開を決意しました。中学生から、「どうして同じ場所で始めようと思ったのですか」という質問が投げかけられましたが、「避難生活で不自由をしていた地元の方々に会って、足を伸ばしてくつろげる場所が必要じゃないかと考えました。そう思った瞬間、宝来館の女将としてのスイッチが入っちゃったみたい」と笑います。
明るい口調の裏には、同じ場所に旅館を再建したことへの“意思と責任”が滲む
平成23年9月から復旧工事が始まり、翌年1月5日から営業再開。今では全国から多くの宿泊客が訪れるようになっています。そして、「宝来館」の立て直しと同時に、地域の復興にも岩崎さんは尽力しています。そこで多くの沿岸地域でも課題となっているのが、大規模な防波堤や防潮堤の是非。現在、釜石市の沿岸地域では、高さ14.8メートルの防潮堤を造る工事が進められていますが、根浜地区では美しい海の景観を遮ってしまうことを理由に造成を断っています。「避難した時の経験から、海の様子がまったく見えないと、どこへ逃げたらいいのか分からなくなるので、ある程度の見通しは必要だと考えています。また、根浜の海は、地域住民のものであり、海を愛して訪れる人たちのもの。私たちも、この海からさまざまなことを学んできました。今後は、避難経路をしっかり認知させるなどして安全性を確保しながら、グリーンツーリズムや体験学習といった、学びの場として発展さていくのが目標です」と力強く展望を語ってくれました。そして、「津波が怖くありませんか?」という中学生の問いには、「確かに、再開に躊躇する気持ちは正直、ありました。でも、この宝来館を、根浜の人たちの故郷の目印にして欲しいと思ったんです。たとえ、これから新しい街並ができて風景が変わってしまっても、宝来館を見て、みんなの故郷を思い出して欲しいから。何が正しいかは、これからみんなと生きていきながら、考えていこうと思っています」と話す岩崎さんの瞳には、強い意志の輝きが宿っていました。
宝来館の裏山へ。この駐車場を濁流がのみ込んでいき、女将さんも津波に巻き込まれた -中学生記者 生田くん撮影
取材の後、館外へ出て、実際に岩崎さんや従業員の方々が避難した裏山を見学することに。エントランスから駆け足で建物の背後地を目指し、折り返しの階段を一気に駆け上がります。うっそうと茂る杉木立を背に高台から眺めると、大槌湾の素晴らしい風景が広がっていました。思わず「きれいやなぁ!」と声をあげるロザン菅さん。この時、岩崎さんとともに同行してくれたのが、釜石復興ツーリズムプロジェクト/どんぐりウミネコ村復興支援室のプロジェクトリーダー、伊藤聡さん。伊藤さんは当時、「宝来館」の番頭として務めており、避難誘導時にはその様子を動画に収め、動画サイトや報道番組などで大いに反響を呼びました。階段を上りきった先で、その動画をタブレット端末で再生し、視聴。まさに同じ場所で起きた凄まじい出来事を目の当たりにし、みな息を飲みました。女性たちの緊迫した金切り声、早く!早く!と何度も繰り返される叫び声が静かな浜に響き、例えようもない緊張感が支配していました。
震災時、伊藤さんが撮影した動画
人々は、津波に飲み込まれていく様子をこの場所でただただ眺めることしかできなかった。
お隣 遠野市の名物料理 ジンギスカン
取材の後は、岩崎さんのはからいで、「宝来館」前に造られた「雪と星めぐりひろば」でジンギスカンのランチを楽しむ一時も。釜石市に隣接する遠野市の名物料理で、専用のバケツとジンギスカン鍋を使って野外で楽しむのがお決まりのスタイルだそうです。お手製の大きなおにぎりやはっと汁も振る舞われ、みんな大満足。岩崎さんも一緒に鍋を囲みながら、楽しく昼食を味わうことができました。お腹を満たした後は、根浜海岸の松林を散歩。一行は、三陸の海の美しさ、雄大さを、その目と肌で感じることができたようです。名残惜しくも「宝来館」を後にする際、従業員の方々が大漁旗を大きく振って見送ってくれたことも、中学生たちにとって良い思い出となったはずです。