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山徳平塚水産株式会社 社長 平塚隆一郎さん 今まさに歩み始める、石巻の水産業の未来に対面。
宇治原さんから工場の説明を受ける中学生記者たち。

宇治原さんから工場の説明を受ける中学生記者たち。

前回、ロザンさん、安田さんが山徳平塚水産を訪問した際は、本社工場の改修工事が終了したばかりで機器の調整中とのことでしたが、今回はまさに稼働の直前。「本格的に生産がスタートしたら、工場内には簡単に出入りできなくなりますから」という平塚社長の言葉に、「おっ!みんなラッキーやったな!」というロザン宇治原さんの呼びかけで笑いが起こりました。

石巻漁港を目の前に、大きな工場が建ち並ぶ魚町エリア。

石巻漁港を目の前に、大きな工場が建ち並ぶ魚町エリア。どの企業も津波の甚大な被害を受け、長い歴史を誇る水産加工業の衰退が危惧されました。山徳平塚水産も生産設備のすべてを失い、社員全員を一時解雇。「震災から2年は休業状態が続きました。我々が最初に行動したのは3ヵ月経った後、震災で壊れた冷蔵施設の片付けと停電によって腐ってしまった魚の撤去でした。これは本当に膨大な量があったので一社の力ではどうにもならず、他社の方々にも呼びかけて作業に当たりました。その時、お互いが力を合わせて協力し合おうと共通意識が生まれたような気がします」と、平塚社長は当時を回想して語ってくれました。

新しい工場内を見学した中学生から、「これだけの加工機械を揃えるのは大変でしたか」という質問が。「被災した中小企業に対する政府の補助金や、金利の低い公的資金の貸し付けを利用しましたが、いろいろ奔走してやっとここまでくることができました」と、安堵の笑みを浮かべる平塚社長。「工場が無かった時はどうやって製品を作っていたんですか」という問いには、「一関、八戸市の他社工場に加工品の製造を委託していました。でも、どうしても自分の工場で作っていた製品と味が違ってしまうんですよね」と平塚社長。「やっぱり、自社での生産を早く再開させたかった?」とロザン菅さんが聞くと、「味もそうですが、すべての生産を他社工場に委託してしまうと、地元の人が工場で働く機会を失ってしまいます。その状態が長く続くと、住宅不足の問題もありますが、働き口を失った住民が石巻を離れていく原因になってしまう。だから、早く自社の工場を再建したいという気持ちが強くありました」と、熱く話してくれました。

新しい製品を前に、説明に聞き入る。

新しい製品を前に、説明に聞き入る。

「そのためにも、ライバル同士が協力し合うことが大切だと思ったんですか?」とロザン宇治原さん。「売上も1割にまで落ち込むどん底の状況でしたから、自分一人の力ではどうにもならないと思い知り、みなさんと一緒に協力して乗り越えていこうという気持ちになりましたね」と平塚社長。その思いは地元同業者と重なり合い、石巻水産復興会議の将来構想ワーキンググループを結成するきっかけに。平塚社長は、その代表を務め現在に至ります。そして、「すべての同業者が、販路をまったく失ってしまっていたんですね。これを取り戻すのは容易なことではない。だから、お互いに知恵を絞って販路を取り戻す方法を探ったり、インターネットを活用した新しい売り方を考えたりすることを、参加メンバーで行っているところです」とも。

意気揚々たるそんな平塚社長へ、「今後、すべての会社の経営が回復してしまったら、みんなまたバラバラになっちゃう?」と意地悪な質問。「そういうこともあるかな。でも、販路やノウハウの共有がいかに素晴らしいかを学びましたし、これから先、石巻における水産業を発展させる確かな力になると感じていますので、このつながりは継続していくと思いますね」と話してくれました。

失われた学校の時間へ、 捧げた野花と祈り。

支え合って生きる強さと、 若き漁師たちの情熱。