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名取処理区 二次仮置場施設 膨大な災害廃棄物が新たな街づくりの資材となる躍動の現場。

ロザンのお二人と安田菜津紀さん、5人の中学生たちを乗せたバスが到着したのは、名取市閖上地区の閖上中学校前。抜けるような青空の下に広がっていたのは、家屋もなく、ところどころに崩壊した建物だけが残る、とてもさびしい風景でした。震災直後からしばらく、うずたかく積まれていたガレキはもはやどこにも見当たらず、何もさえぎるものが無い空間が広がっています。果たして、膨大なガレキはどこへ消えたのか。

安田さんにプレス証をつけてもらい、取材開始

安田さんにプレス証をつけてもらい、取材開始

河口の奥に施設が見える  -中学生記者 人見くん撮影

河口の奥に施設が見える -中学生記者 人見くん撮影

今回の取材行程をコーディネートしていただいた名取市震災復興部生活再建支援課の鈴木智弥さんと小泉 敏さんが最初に先導してくれたのは、臨海地区の「名取処理区二次仮置場施設」でした。

かつて閖上漁港があったという場所は、高いフェンスに囲まれ、ひっきりなしにダンプカーや重機車両が出入りしています。そして、奥には銀色に輝く煙突と見慣れない大きな建造物群。まさに今、フル稼働中の災害廃棄物処理施設を訪れました。事務棟で一行を待っていたのは、所長の武田修治さんら、この施設で働いている職員の方々。まずは、みなさんの憩いの場である食堂に集まり、この施設の役割に関する詳しいお話を聞きました。

東日本大震災で発生した災害廃棄物は、宮城県全体で約1,045万t、津波で堆積した廃棄物が約687万tとなり、これらを合わせた量は宮城県で発生する生活ゴミの約17年分になります。新たな街づくりの弊害となるだけでなく、そのまま長期間放置すると内部で発酵して可燃ガスを生み出したり、悪臭や害虫が発生したりして危険です。そこで、宮城県では気仙沼ブロック・石巻ブロック・宮城東部ブロック・亘理名取ブロックの4つに分け、処理を行う施設を建築しました。その一つがこの名取処理区です。

この施設の具体的な機能を、航空写真や見取り図、たくさんの写真資料で紹介頂きました。一次仮置き場から運ばれてきた災害廃棄物は、薬品や重機などを使って破砕と選別が行われ、1日に95tを焼却できる2基のストーカー炉で灰にされます。選別作業で得られた木材はチップ化して木質ボードの原料や工場のボイラー燃料に、焼却灰は造粒固化加工して海岸堤防を造るための盛土材料に再利用。この施設では、90%以上のリサイクル率を目指しています。もちろん、空気を汚さない工夫も採り入れ、環境に配慮しながら作業を行っています。それでも、「この施設を建設するにあたって、住民の方から反対運動もありました」と、説明者の一人、田中さん。

真剣な表情で聞き入るロザンさん、中学生記者たち

真剣な表情で聞き入るロザンさん、中学生記者たち

さらに、福島第二原子力発電所の事故もあり、放射性物質に関する問い合わせも多いそうです。「この場所の空間線量は0.05〜0.06マイクロシーベルトとほぼ問題ない数値ですし、最終処分する灰の放射線量は100ベクレル/kg程度で、廃棄物に関する国の基準である8,000ベクレル/kgを大幅に下回っています」と説明。そんな風評被害で半年から一年、最終処分を行う埋め立て地の選定に難航していましたが、山形県米沢市や宮城県の各所で行うことが可能になり、災害廃棄物の処理が大きく進展しています。

一通り説明を受けた後、再度バスに乗車して、敷地内を見学しました。

瓦礫の山を写真に収める

瓦礫の山を写真に収める

日本に一台しかない巨大なドイツ製破砕機「レッドジャイアント」や木くずを砕く「タブグラインダー」は迫力満点。7つのエリアごとにそれぞれ違った作業が行われており、一口にガレキといってもその内容は流木やコンクリート片などさまざまで、それゆえに丁寧な選別が必要であることを学びました。施設内で精力的に働く作業員の方々も目の当たりにし、平成26年3月までに処理を完了させるという目標が、まさに実感あるものに思えました。

様々な重機が稼働している -中学生記者 松下さん撮影

様々な重機が稼働している -中学生記者 松下さん撮影

処理を待つ瓦礫

処理を待つ瓦礫

名取市が直面している『いま』とは

この悲劇を繰り返さず、愛すべき閖上の街を後世へ。