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蛤浜プロジェクト caféはまぐり堂店主 亀山貴一さん 自分のルーツだからこそ、諦められない明日への願い。
caféはまぐり堂の展望台からの眺め。かつてあった家屋は、コンクリートの基礎部分を残すのみとなっている。

caféはまぐり堂の展望台からの眺め。かつてあった家屋は、コンクリートの基礎部分を残すのみとなっている。

バスの車窓から、牡鹿半島の美しい海の景観が飛び込んでくるなり、思わず歓声をあげる中学生たち。この先に待つ最初の取材先「はまぐり堂」に、否応なく期待が高まります。到着したのは、“蛤浜”という名前のイメージにピッタリの小さな入り江と、数件の古民家が集まる漁村。一行を出迎えてくれたのは、自宅を改築して2013年3月からカフェ「はまぐり堂」を営んでいる亀山貴一さんです。

亀山さんに先導されて石段を上ると、カフェの庭先に浜を一望できる展望台が。この日眺めた海は穏やかで、津波の恐ろしさは微塵も感じられません。しかし、やはりここにも、家を飲み込むほどの波が押し寄せました。「津波はどれほどの威力だったんですか」という中学生の問いに、「波が押し寄せた後、ものすごい勢いで引いていったんですが、海の底がみえるほどだったんですよ。かなりの高さまで波が上ってきたんですが、集会所は被害を受けなかったので、無事だった人たちはみんなそこで避難生活をしていました」と亀山さん。高台の3軒を残してすべてをなぎ払い、住民の命も奪った津波の脅威は、現在の静かな浜の景色からは、誰も想像できない様子でした。

普段はこのように静かな浜。
一方で今も損壊したままになっている防波堤が、海が牙をむいた時の威力の大きさを物語っている。たたずむ女性は、海に何を思うのであろうか。

普段はこのように静かな浜。(左)一方で今も損壊したままになっている防波堤が、海が牙をむいた時の威力の大きさを物語っている。(右)たたずむ女性は、海に何を思うのであろうか。

築100年以上という風情ある建物内に案内され、物珍しそうに見回す中学生たち。古びた懐かしい雰囲気ながらも、コーヒーや美味しそうな料理の匂いが漂い、カフェの活気を感じさせます。そして、これから宿泊者の受け入れも予定しているというゲストハウスを見学。ここでインタビュー取材を行いました。地元の水産高校の教師を務めながら、自ら生まれ育った家で日々の暮らしを楽しみ、赤ちゃんの誕生を待ち望んでいた亀山さん。「家が3軒しか無くなった状況をどう思いましたか」という質問に、「生活基盤が無くなり、家族も失い、まったく先が見えない状況で、正直、何もしたくないという気持ちでいっぱいでした」と当時の心情を語ります。「この浜での暮らしを、諦めてしまおうという思いはあった?」と、ロザン宇治原さん。「元々、過疎化が進んでいましたし、この状況では10年後には何も残っていないんじゃないかとも考えましたね」と亀山さん。

亀山さんのアルバム。家が立ち並ぶ、かつての浜の様子が分かる。-中学生記者 小椋君撮影

亀山さんのアルバム。家が立ち並ぶ、かつての浜の様子が分かる。-中学生記者 小椋君撮影

ロザン菅さんが「なんで諦めなかったの?」と問いかけると、「自分の体に流れる血の半分は潮水なんじゃないかなと思うことがあるんです。それだけこの浜に愛着があるし、離れられない土地」とニッコリ。「芸人の僕らで言えば、それは劇場みたいなもんかな。いくらスベっても好きな場所だから」と菅さんが返すと一同爆笑。「やむをえず浜を出てしまっている住民の方に、いつか戻ってきて欲しいと思いますか」という質問には、「家や仕事を失った場所へ、すぐに戻るのは難しいでしょう。町の中心部に住んでいる方が便利だし、仕事もありますから。でもこの浜には、ここにしかない海の恵みや豊かな自然があるんです。だから、その魅力を広く発信していくことで、さまざまな発展の可能性を示していければと考えています」と頼もしい笑顔でそう語ってくれました。

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