それは、東北と日本中を笑顔でつなぐプロジェクト
スマイルニュース

ものづくり産業の再建・成長を後押し 「みやぎ復興パーク」の10年

  • 2022-01-15 05:00:58
震災後のものづくり産業の再生に大きな役割を果たした「みやぎ復興パーク」=2016年

東日本大震災後、ものづくり産業の復興を目指して多賀城市に設置された「みやぎ復興パーク」が昨年10月、閉鎖された。開設からの10年間、入居した44の企業・団体が震災の打撃から事業を立て直し、新ビジネスを軌道に乗せる拠点となった。入居者や運営関係者は、果たした役割の大きさを強調する。(報道部・小木曽崇)

◆7棟を無償貸与
パークが設置されたのはソニー仙台テクノロジーセンター。震災の津波被害を受け、ソニーは一部事業を他工場に移管し、遊休施設となった建物7棟の無償貸与を県に提案。みやぎ産業振興機構が管理運営するインキュベーション(ふ化)施設として、2011年10月にオープンした。
「復興パークはわが社の『仮設住宅』だった」
13年9月に入居した精密機械加工のエーケー(塩釜市)代表取締役の安達輝実雄さん(64)が振り返る。震災時に勤務していた仙台市宮城野区の工場は、津波で被災し再建を断念した。自ら働く場所を確保するため、11年11月にエーケーを設立した。
元の職場から取引先の一部を引き継いだものの、当初は工場も工作機械もない。協力企業に加工を依頼していたが、13年に県外から旋盤機や研磨機の無償提供を受けたことで入居に踏み切った。
安達さんは「工作機械を置く場所が欲しかった。何とか社内で加工できる体制を整備できた」と言う。売り上げは右肩上がりとなり、マシニングセンタなど高性能の工作機械も導入。18年5月に退去し、現在の工場に移ってからも業績は順調に拡大している。

◆産学連携の拠点
パークは事業再建だけでなく、新興企業の成長も後押しした。
自動生産設備製造のグローテック(宮城県大衡村)は16年に創業。現在はソニーの製造子会社のほか、日立アステモなど大手自動車部品メーカーと取引できるまでに成長した。
社長の種沢直樹さん(40)は仙台市と大崎市の事業所が手狭となり、17年にパークに移転した。「元々ソニーの施設なので必要なインフラが充実していた。入居で会社の知名度や信頼度も上がった」と振り返る。
同社は「5年後に自社工場を建てる」との創業時の目標を前倒しで達成し、20年10月にパークを出た。「パークがなければここまで事業拡大できなかった」。種沢さんは感謝する。
パークに入った企業は約1000人の雇用を生み出した。東北大研究機関や同大発ベンチャーも入居し、産学連携の拠点にもなった。昨年11月、仙台市内であった終了報告会で、河端章好理事長は「ものづくり産業の復興、新産業創出に貢献できた」と総括した。
開設に携わった東北大未来科学技術共同研究センター(NICHe)の長谷川史彦特別顧問は「震災前から産学官の信頼関係があったから迅速に開設できた。目標としていた地域雇用の維持、新規雇用創出を果たせたのは大きな成果だった」と語り、10年間を締めくくった。

【2022年1月11日付河北新報朝刊、写真=震災後のものづくり産業の再生に大きな役割を果たした「みやぎ復興パーク」=2016年】